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西本願寺常例布教最終日

皆さま、こんにちは。

ようやく久しぶりに我が街、入間へ帰ってきました。名残惜しかったですが西本願寺で布教をさせていただいた経験はまた私のスキルの幅を広げてくださいました。


最終日、お晨朝は前門さまが出勤されました。足が悪いのに一生懸命に務められるお姿にまたもや私は涙してしまいました。

確か14年前の布教でも感激して涙しました。

私の僧侶人生は、大谷光真さまを常に誇りに思って歩んできました。

前門さまのお力添えにて千葉市で「西本願寺千葉出張所」を父が構えた所から始まり、その後、「大願寺」として寺号公称したのでした。


父が開所した「西本願寺千葉出張所」の開所式にご門主になられてすぐの大谷光真さまが非公式で来院され、ご法話まで賜りました。

あの時の笑顔は小学生の私は今でも忘れられません。

今の大願寺があるのも、大谷光真さまがご尽力してくだされたおかげだと私は思っています。


父はあまり語らずに往生しましたので、この度の西本願寺常例布教最終日に前門さま、大谷光真さまが出られると聞いていましたので、父の長子である私が父に成り代わって御礼を申そうと、御堂法話の場で一言お伝えいたしました。

お叱りを受けるかも知れませんが、今回のチャンスを逃したら直接、前門さまにお伝えすることは叶わないと思いました。


私はこれでスッキリしました。

三十年間お世話になってきた出身寺、大願寺に恩返しができたのではないでしょうか。

これからは大谷光真さまへの報恩感謝の想いを抱きつつ、新たな聞法道場、「超法寺」を形づけていくだけです。一つ肩の荷がおりました。


今回はまた懐かしい方々にお会いさせていただきました。築地本願寺の開教担当主任に始まり、築地本願寺の元副宗務長(現在の副執行長)、仏教青年連盟で活動していた頃、組織教化部の部長をされておられた現執行長、また辞令をくだされた方は、大願寺にビデオを撮りに来られた方であったり、何か父が寄せてくださったのでしょうか。


最後の最後にはブックセンターで元麻布のYさんにもお会いしました。何となく、「どうされていれのかな」って思っていたら会えるなんて不思議ですよね。仕合わせ気分で無事に帰ってまいりました。

こんなに仕合わせになれるなんて嬉しいです。

もうこんな経験はできないかも知れませんね。


あ、実は来月も「全国布教同志会」布教大会に出向するためにまた西本願寺の聞法会館へ参ります。また精一杯のお取継ぎをしてこようと思います。


またなんて思っても、「名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて、力なくして終わるとき、かの土へはまいるべきなり」『歎異抄』

でありますからね、待ったなしであります。

少しでも悔いを残さないように「今」を大切にして、愚痴の口に常に南無阿弥陀仏をお称えしながら人生を歩んでいきたいですね。


ちなみに最終日のお晨朝はお参りが多かったのです。「まことの保育」の研修があったそうです。可愛らしい保母さんがたくさんお参りされ、有り難くも私の法話をお聴聞してくださいました。その際に東京教区の先輩法中のKさん、Tさんにもお会いしました。


もうお腹いっぱいです。

ウチの子たちには贅弁当をお土産に買って帰りました。あっという間にペロリと平らげましたよ。あははは、良かったです。

明日からはまた超法寺として頑張っていきます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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