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虚しくない「いのち」

皆さま、おはようございます。

今朝は良いお天気に恵まれました。

今日はこれから東京杉並区までお参りに参ります。混む前に出たいと思います。

皆さまも良いお休みをお過ごしください。


私たちはお互いに常に歳を重ね、病にもなり、やがて娑婆の縁が尽きれば命終わっていかねばなりません。若いとか元気だとかは関係ありません。それなのに死んだらどうなるかの確かな答えがないまま生きていませんか?

人生は過ぎればあっという間ですよ。

必ず自分の番がやってくるのです。


仏教はこのような私たちに「この世も私自身も、いつも移り変わっていくものである」と教えてくださいます。

中でも阿弥陀如来は、その移り変わっていく中で苦しみ悲しむ私たちを受けとめ、抱きとめて、私たちの人生をむなしく終わらせないと【南無阿弥陀仏】の声のお念仏となり、いつでもどこでも私たちを救わずにはおれないとはたらき続けておられるのです。


親鸞聖人はご和讃に、

本願力にあひぬれば むなしくすぐる

ひとぞなき 功徳の宝海みちみちて

煩悩の濁水へだてなし 『高僧和讃』


と、お示しくださいます。

南無阿弥陀仏のご本願のはたらきに出遇えたならば、人生がむなしく過ぎることはありません。「南無阿弥陀仏」の海のようなはたらきに抱かれて煩悩だらけの私たちも必ずお浄土に生まれ(往生)、仏さまにならせていただくのです。


南無阿弥陀仏のお念仏は、あらゆる功徳を満たしているから、海にたとえられています。

海は清らかで濁ったものもすべての川の水を受け入れ、すべての水を同じ塩辛い一つの海の味にします。

これと同じように阿弥陀如来は、すべてのものを分け隔てなく包み込んでくださいます。


葬儀、ご法事、お墓参りを【縁】として、変わることなくはたらき続けてくださっている阿弥陀如来に出遇わせていただき、むなしく過ぎることのない人生を歩んでまいりましょう。


南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・

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