不断煩悩得涅槃
- 超法寺の住職

- 3 時間前
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人間たる者は、日々の生活の中で煩悩から逃れることは非常に難しいというか、
死ぬまで苦しみ続けるものです。
かの一休禅師も最後の言葉は「死にとうない、ほんまじゃ」であったと言われるほどです。私たちのように日々、仕事に趣味を持ち、家族を持つものにどうやって修行をし、それを成し遂げることなどできるのでしょう。無理です。
煩悩を克服できない者は死んでも悟りの境地に至ることなどないのです。
三毒の煩悩 貪欲(とんよく)という貪りの心
瞋恚(しんに) という怒りの心
愚痴(ぐち) という真実に暗い心
人間の苦悩は内から湧いて出るもので、それすら忘れて生きているのです。
そんな私がどうやって仏になどなるのでしょうか。
親鸞聖人は『一念多念証文』の中で、
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、
いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念
にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず
と言われています。
人間である限り、この三毒の煩悩からは逃れられないのです。
私が作り、私自身を苦しめていく苦悩の世界であります。
「厄落とし」などよいう簡単なもので解決することなどないのであります。
「正信偈」に、不断煩悩得涅槃(煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり)
という言葉があるように、お念仏を慶ぶ人に人生は、その身は三毒の煩悩世界にありながらも、真実の智慧と慈悲である南無阿弥陀仏によって、煩悩に煩わされることのない世界が開かれていくのです。
お念仏を口に申すことのできる念仏者は、煩悩に身を置きながらも、苦悩の人生を畏れなく歩んでいける道を届けると、南無阿弥陀仏のお名号となって常におはたらきくださっていることを知らさせていくのです。
これが他力の道であります。
煩悩から逃れることのできない在家仏教の教えがここにあるのです。
ダメですよ、自力では私は救われません。
それはどうしてかは、お聴聞の中に知らされていきます。
どうかお寺に参って仏さまのお話を聞く機会を持ってください。
焦る必要はありませんが、娑婆の縁が尽きるまでにはご縁に遇っておいてほしいものです。
南無阿弥陀仏




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