top of page

聞かないあなたが死後に堕ちる世界

皆さま、こんにちは。

今日も半端なく激暑でありました。

墓前での法要でしたが実に厳しい暑さに襲われました。皆さまもどうぞ十分にお気をつけくださいませ。


今日は我が母校平安が天敵の京都外大西と対戦、惜敗して夏が終わりました。やはりこの激暑ですから主戦投手は3枚は必要でしょうね。

川口新監督は自分の時と同じで、この激暑を完投させてしまいました。失敗だと思います。相手は継投でしたように、やはり暑さ対策はきちんとするべきだと思います。何せゆとり世代の子どもたちですから、根性根性ど根性では暑い夏は乗り越えられません。

まだしばらく甲子園への道のりは遠そうです。


さてお盆[盂蘭盆]ですので、地獄についてご紹介します。

どうも「死ねば仏」に引っ張られてしまい、「地獄は私が作り私が堕ちるところ」への恐怖と罪悪感があまりに薄い気がするのは私だけでしょうか。


仏教では、人間の一生は皆同じではありません。『歎異抄』には、「名残惜しくおもえども、娑婆の縁尽きて力なくしておわるとき、かの土へはまいるべきなり」と言われています。

また浄土真宗の親鸞聖人はお坊さんになる儀式[得度]の際に「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」と言われて夜遅くに儀式を終えられたと伝わっています。


「死」は若い、若くないを問いません。

毎日、元気な人が突然の事故や事件で亡くなられたというニュースを目にします。若い人も事故や事件、病気で亡くなられています。

私の縁が尽きるのにはそれぞれで皆同じではありません。それなのに自分が死んだらどうなるかが全く問われていないし、そのいわれを聞くことにも興味を持ちません。

だから恐ろしい話を聞いたとしても、何故か笑って聞けるのでしょうね。


昔から「嘘をつくと舌を抜かれる」と言われています。聞いたことありますか。

私は幼い時、嘘をつくと父が母に言ってペンチで舌を挟まれていました。痛かったですよ。

もちろん恐怖もありました。

父の恐ろしい形相は今も忘れません。

トラウマです。


父なりに私に嘘を言わない子どもに育てたかったのでしょうがかなりやり方に無理があったんじゃないかと思います。

ゆとり世代の子どもにこんなことをしたら訴えられますよ。きっと。


少し長くなりますので端折ってご紹介します。

簡単にいうと、この世で幸せになれない人は死んでも決して楽にもなれないさ、幸せにもなれはしないのです。ここはよくご理解くださいね。


地獄の運動律

⚪︎【等活】凄惨極まりない責苦を受けて死に至るが、再び生き返って同じ責苦に遭う。

[地獄は死んだ人が堕ちるが、生き死にを繰り返して、痛みも残っている]

例えば、この世で、生きていても仕方がないと自死を選んだ者も、地獄でさ、自死させられては生き返ることを長く繰り返さねばならない。


⚪︎【時間】人間世界の五十年が四天王天という天界の一日に相当し、その四天王界の寿命にあたる五百年が、等活地獄の一日になる。

計算してみると、等活地獄の一日は地球上の二億四千百三十五万六千二百五十日に相当します。略したら【二億四千万日】、それを五百年つとめねばならない。

しかしながらこれは地獄でも一番罪の軽い者が堕ちる世界であることを忘れてなりません。


それでもあなたは笑って聞けるのでしょうか。

私たちはその命を今日とも明日とも知らずに生きていますが、いずれ必ずその時がやってくるのだけは間違いありません。

これだけの罪深い人生を歩んでいる私がお坊さんが供養したくらいでいいところへ行かれるはずはないのですよ。じゃあ意味なんかないからお坊さんなんか要らない、葬式なんかやらないよ、なんてまさか言わないですよね。


聞いてもわからない私が聞かないでどうやって地獄に堕ちないようになるんですか。なるはずないですよね。親心すらわからない者が親心を知ることで初めて知るのでしょう。


親が嫌いで親を見送ったある方の話です。

遺品を整理していたら手紙が出てきた。

読んでも読んでも出てくるのは私のことばかり。最後には「ごめんなさい」の一言が。

これが親心を知るということではないでしょうか。子どもは一人では生きられない。親の支えがお育てがあればこそ生きられるのです。


地獄を【自業苦】とも言います。

地獄は、自分で犯した悪業を理解できない者が堕ちるとも言われます。


仏教の道理は【因果応報】です。

悪いタネを巻けば悪い実がなる。

仏教での「悪」は、人間としての根源的な心の営みを凝視していくところであります。


詳細はお寺へ参りお寺さんにお聞きになるといいですよ。だって私が一人死んで一人で行く世界なのだから。

しかしながら、そのような愚かな生き方の私を亡くなられた方々が知らんぷりできるでしょうか。地獄に堕ちていかれたなら責苦で人のことなど考える余裕すらないでしょうから。

でも仏になっていかれた方は、仏願をわからない私にあの手この手をもって知らしめようとご苦労くださると思います。


私が受け取りやすい、私が聞きやすい、わかりやすいように手立てを考えて•••それが葬儀の場であり、ご法事の場ではないでしょうか。

私は皆さまに面倒かも知れませんが、仏事を大切にしてくれるいただきたいと思うのです。


お墓参りだけに終わらずに、お寺で法話を聞く人になっていただきたい。

もしも忙しくて難しいなら、せめてYouTubeで法話を聞くことを大切にしていただきたいと思います。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

コメント


bottom of page