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必ず、必ずのお喚び声

今年に入って二度目の激震。ベネズエラ、そしてイランです。

ウクライナはもう4年も戦闘が続いている状況で先行きすら見えずにいます。

それなのに人間はまた争いを繰り返しています。

宗教の名の下、国家の都合で尊い命が奪われています。

「核」が使用されないことを切に願うばかりです。


さて私たちがこの世に生まれたこと、今生きていることは決して偶然などではありません。動物でも虫でも無く人間に生まれたこと、それは偶然ではないと私は思います。必然の中で生まれ生きているのです。日々行なっている努力も出会いも別れも、そうなりたいと思っていたからそうなったのではありません。

無数の縁に左右されながらたまたまそうなったのです。

ましてや私が浄土真宗の仏縁に遇えたこともそうではなかったのではないでしょうか。私はここまでの人生で3度も浄土真宗から逃げてきた愚か者です。

それでも、おかげさまでしょうか未だに浄土真宗のみ教えのままに身を置いて生きております。何とも不思議なことだと思います。


親鸞聖人は「遠く宿縁を慶べ」とお示しになりました。


私が選んだように思いますが実はそうではない不可思議なおはたらきがあればこそのことなんですね。確かに浄土真宗寺院の長男に生まれたのも私の努力ではありませんでした。僧籍をいただいたのも私がそうしたいと思ったからではなかった。

現に得度(僧侶になるための儀式)から一年逃げましたから。

なかなかこの口に当たり前のようにお念仏(南無阿弥陀仏)が称えられるようになったのも私の努力ではありませんでした。周りからさまざまな人たちが、私がそうなるようにご苦労してくださったからにほかなりません。


皆さまも、「おばあちゃんに連れられて」、「親の葬儀が縁で浄土真宗を知りました」、「たまたまお寺のホームページを見かけて」など私からしたら本当にたまたまだったはずです。


しかし仏さま(阿弥陀如来)の側からすれば遠く遠くはるか昔から「必ず、必ずあなたを浄土に救う」と願い通しだったのでした。それも知らずに生きてきた。

ずっと迷いの人生を繰り返してきたのです。それがようやくこの度、南無阿弥陀仏を目に耳にすることができたのでした。

それこそが親鸞聖人がおっしゃった「遠く宿縁を慶べ」ではないのでしょうか。


縁によってどうにでもなるこの私の人生です。

しかしながら、南無阿弥陀仏のお心を知らされた人生はただただ安心であります。

だって、もう迷いのままの人生ではないからです。

阿弥陀如来とご一緒の人生です。

南無阿弥陀仏のお念仏を私に寄せてくださった先祖さまのおかげでありました。

いただいたならば、どこでどうなろうとも必ず浄土の仏にするぞ、との阿弥陀如来の揺るぎない喚び声、南無阿弥陀仏を灯火としながら、おかげさまです、有難うございますと生きて行きましょう。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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