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私が苦悩の人生を確かに生きていくには

私たちは日々、身体の苦悩と、心の苦悩に振り回されながら生きています。

目が外を向いているために、自分のことはわからずに他者のことばかり気になり、

批判や文句を言って生きているのです。不足ばかりがあって気に入らないと即、争いとなり人を傷つけたりしながら生きているのです。

ストレス発散のためにSNSで攻撃したりしている。その上、逆に訴えられたらすぐ逃げます。自分のしたことに責任を負うことができない大人が増加中では無いでしょうか。


自分は悪く無い、他人が悪い、他人のせいで自分がこんな目に遭っている。

このような論理でしか生きられないもののために地獄はあるのでしょう。

もうすぐ盂蘭盆の時期がやってきます。

そろそろ真剣にお盆の意味を知っていただきたいと思うのです。

地獄は自分で作って自分が堕ちる場所。


それなのにどうして地獄の話をしてもニヤニヤして話が聞けるのでしょうか。

私は子供の頃、嘘をつくと父親が母に「おい、ペンチを持ってこい」と言い、

私に「おい、ベロを出しなさい」と言うのです。

もうどんな恐ろしいことが起きるかは子供の私でもわかりますよ。

嫌々口を開けてベロを出すと、父はペンチで舌をギュッと挟むのです。

痛いの痛く無いのって。さあどっちでしょうか。

涙が出るほど痛いのです。


じゃあもう嘘はつかないのでしょうか。いややっぱり嘘をつくのです。

怖いとわかっていても嘘をつくのです。これが人間の本性です。

他人事戯言真あることなし。


仏さまはもうとっくのうちにそれを知り抜いてくださっておられます。

その上で、何とか救うてやりたい、救わずにはおれないと願いを起こしてくださったのです。親鸞聖人は、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」『歎異抄』

このように申されています。

この地獄を作って生きる他にない私が救われる道は他力でしか無いとおっしゃっています。


それなのにいつまでも自力に頼って、困ったときだけ神頼み、御守りやお札に、これ皆んな自力です。他力の道は、どこどこまで行っても阿弥陀如来の本願におまかせしていくのです。つまり、南無阿弥陀仏をお称えしながら私の今を生きていくのです。


どうぞ、私を決して見捨てない。きっと信じさせて、称えさせて救おうという他力に遇わせていただいて本当の安らぎと幸せの道を生きていきましょう。


南無阿弥陀仏

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