浄土真宗の勉強がしたい
- 超法寺の住職

- 1 日前
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最近、「浄土真宗の勉強がしたいのです」と言われる人が実に多いと思います。
皆さまは浄土真宗のお勉強って何だと思っておられますか。
何か学校の勉強と勘違いされてはいないでしょうか。
現に浄土真宗では東京仏教学院、中央仏教学院という僧侶になるための専門学校的な
各種学校がありますし、私も中央仏教学院の卒業です。
ただどちらにも通信教育というものがあり、僧侶を目指す方が多く中にはお寺を持たずにお参りだけを受けたわって活動されている方が大変増えています。
いいのかどうかは現場それぞれの判断で違うのでしょうが、本来の浄土真宗のみ教えとは違った方向が問題を抱えている実情もあるのではないでしょうか。
学問を極めたいのであれば龍谷大学や武蔵野大学で専門知識を学ぶこともいいでしょうし中央仏教学院や東京仏教学院(夜学)で学ぶのもいいでしょう。
ただその延長でお寺で勉強したいというのはちょっと違う気が私はするのです。
浄土真宗のお寺は昔から聞法道場といいます。
聞法、つまり仏法聴聞を重ねることが何よりも大切にしています。
蓮如上人は「ただ仏法は、聴聞にきわまることなり」と言われています。
「聞」といふは、衆生、仏願の正起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなわち本願力回向の信心なり。
『教行信証』信文類
お聴聞とはお寺にお参りをし、仏さまのお話を聞かせていただくことです。
「聴聞」
聴くはこちらから積極的に聞くこと。「hear」
聞くは耳に入ること。「listen」
蓮如上人は、「籠を水から上げるから漏れるのです。籠を水につけておけば漏れません。そのようなお気持ちでお聴聞されたらどうでしょうか。」そのようにおっしゃいました。
お聴聞は学校の授業や研修の講義とは違います。
煩悩に振り回されているこの私こそが阿弥陀如来の救いの目当てです。
私のいる場所はまさにお慈悲の中であった。
そのようにお聞かせいただくことがお聴聞であります。
すぐに答えをはっきりさせようとするのが人間は好きですが、聞いても忘れてしまうのです。それではあまりいみをなしません。
それより身心でいただいていく方が本当の安心となると思います。
ぜひお寺にお参りしてお聴聞する習慣を身につけてみませんか?
南無阿弥陀仏は決して邪魔にはなりませんよ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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