「老い」の喜びを知ろう
- 超法寺の住職

- 5 時間前
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今年も桜が咲き始めましたね。今年も桜の開花を見ることができたことはありがたいです。歳を重ねてこそ出会えることですから。
昨今はガソリン代も上がり何もかもが値上がり(負担)、私自身はカツカツであります。まさに「目覚めるな」気分です。「五里霧中」望むところですわ。
最近ハマっているドンデコルテの漫才のような気分の毎日です。
社会保険料の負担もキツくなっています。若い頃にはそれほど思わなかった税負担がこれほど身に染みてくるとは。向き合うとしんどいです。
それでも生きていかねばなりません。親から賜った貴重な命であり、1,000,000年に一度の人間として生きていけるチャンスとも言われるし、たった一度の人生とも言われます。これほど宝くじに当たるほどの幸運に恵まれているというのに、生きていく中で不平不満ばかり感じるのはどうしてでしょうか。
これが仏教で言う煩悩具足の凡夫という迷いの命なのでしょう。
苦しみを離れて生きていくことが難しい私たち。不平不満が暴走して事件や事故を引き起こしている。
歌手のさだまさしさんが常々、「人生は苦なり」を知ったことで楽になれました、そうおっしゃいます。「ああ、苦しくて良いんだ」そう思えたら人生の方向性がすっかり変わって、自分は何ができるのだろうか、何をすべきなのだろうかを考えるようになれた。そうおっしゃいます。
素晴らしいと思いませんか。
私の命は煩悩具足の凡夫ですから死ぬまで煩悩から離れられないです。
この世は諸行無常ですから常に移り変わっていくのです。そして真実なものなどないのです。非合法でも勝ったものが正義となっていく世界なのです。
どんなに正論を並べてみても、勝ったものが正論になるのです。
悲しいことですがこれが現実です。それを愚痴ってみてもなんの解決にも至りません。
ガソリン代が高騰するオイルショックは生活を圧迫します。でもいずれまた落ちついたり安くなることもあるでしょう。しかし人生の「老いるショック」は終わることなどないのです。迷いの命を私を頼りに生きている限り、ずっと続いていきます。
ですから余生などという悲しい老後になってしまうのではないでしょうか。
「子どもたちに迷惑をかけたくない」そんな寂しい言葉を言わないでくださいよ。
生きていくのに迷惑をかけずに生きていけるのですか?
生きていけないのです。迷惑をかけている私は許されているのです。許してくださる方がいればこそ生きていけるのです。
されば、許してもらうばかりではなくて、誰かを許してあげる私になってこそ、真の幸せをしることになるのではないでしょうか。
老いてこそ知ることのできるもの、それはどんなに苦しくても、どんなに思い通りにならなくても歯を食いしばって生きていくことが本当の幸せを知ることになるのではないかと思います。
だって大好きなお母さんがいのちをかけてこの世に産んでくれ、そして一生懸命に育ててくれたのですから。ご恩報謝の気持ちで精一杯生きなければ、浄土での再会で合わす顔がありませんよ。
あれほど若い時にわからなかったことが、老いを体感してこそ知ることができた、嬉しいじゃないですか。上部だけではなく、仏法聴聞する中でその温もりにも気づかせていただけたのです。南無阿弥陀仏の声が私を常に支えていてくれていることを。
最後にウチの可愛い愛犬ばあちゃん、圓(まどか)が急に体調を崩して病院へ行ったら前庭疾患と言われました。十三年一緒に暮らしてきた家族です。でもみてください。笑っているじゃないですか。犬でさえこうやって生きれるのに人間に私たちがしかめっ面で生きていたら恥ずかしいじゃないですか。あらゆる命に寄り添う阿弥陀仏を知ることが幸せへの最短距離ですよ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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