尊光寺布教
- 超法寺の住職

- 1 日前
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お彼岸中日の昨日、急遽の布教をいただきました。
相変わらずお彼岸にボウズの超法寺ですが、今までもこうやって助けていただいております。有難いことですね。
この度は久しぶりの坂戸市の尊光寺さまでの布教でした。
お寺の規模的にも同程度(中身は全く違う)ですので、ずっとお手本にしています。
またご住職には日頃から大変お世話になっています。
ご讃題は、「礼讃文」無上甚深微妙の法は、百千万劫のもあい遇うことかたし。
われ今見聞し受持することをえたり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。をいただきました。
お彼岸は如来さまが西の方角に安穏な浄土という仏の国を建立され、あらゆるものを
南無阿弥陀仏を受け取らせて生まれさせるという、かつてないほどの素晴らしい法を説きつつ、聞いてくれよ、称えてくれよ、まかせてくれよのはたらきをもって願い続けておられます。こちらにはお救いの条件を一切設けずして、阿弥陀さまの願力によってあらゆる命を救っていくのであります。
遇い難いものでありますが、あらゆる手立てをもってその機会を与えてくださいます。先祖であったり、親、きょうだい、子、孫、友人、恩師・・・・・さまざまなものを「縁」として私を仏法に誘ってくださるのです。
世間ではお彼岸はお墓参りをするだけの行事になりがちですが、亡き人を死者として供養していくか、または故人を遇い難い仏縁を持ってくださった諸仏として拝ませていただくかによって違ってきます。
かのとんちの一休禅師は、油断ばかりしている私たちにこういう言葉で諭してくださっています。
阿弥陀仏、みなみにあるを知らずして、西を願うははかなかりけり。
このような一見不思議な言葉です。
西は漢字なのに、みなみはひらがなです。
どういうことでしょうか。
これについて一休禅師は解説されてはおられませんが、これは日頃からの仏法聴聞によって自然と知らされていくのではないかと思います。
仏は助ける、私は○○○。
さてわかりますか?
この答えを知っていくための行事こそがお彼岸なのであります。
お経を読むとは、今現在説法です。
つまりお釈迦さまの説法を聞くのです。
法名をいただくのは、死んだ人だからではありません。
仏法を聞く人であるからなのです。ですから生前にいただくのです。
俳句を読む人が雅号をいただくのと同じです。
戒名は修行する人のために授かるものですから、修行をしない、できない信者が特別にいただくのです。特別○○だから高額だったりするようです。
これも仏法を聞くことで知ることができるのですね。
超法寺の彼岸会は28日14時からです。南無阿弥陀仏




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