細かな配慮を忘れてはならない
- 超法寺の住職
- 1 日前
- 読了時間: 4分
皆さま、こんばんは。
八月が終わります。明日からは暦の上では秋到来です。今年も後三か月を切ります。
余りにも慌ただしく過ぎていく日々に、ただただ驚くばかりであります。
諸行無常の理は年々私の場合は新幹線ひかりのごとくになっています。もうすぐのぞみとなるのでしょう。何をしておくべきなのか考えながら、今やるべきことをなるべく悔い少なくしていかねばならないですね。
さて今日は川崎市でご縁をいただきました。
今月はほぼ葬儀が無くて、いつ以来のことかと思うばかりですが、この時期にこのような状況を迎えるとは思いもしませんでした。
超法寺はまだご門徒がほぼいらっしゃいませんので固定的にご依頼をいただくことが少ないのです。ただ不思議と他寺院からのお助けがあり、何とか持ち堪えている状況であります。
衷心より御礼申しあげます。南無阿弥陀仏
今日お会いさせていただいた方々も、本来なら私が生前にお会いすることは無かったような方々でありました。その方々にこうやってお出会いすることができましたのは、きっと諸仏のおはたらきではなかったでしょうか。
親鸞聖人はご和讃に、
【南無阿弥陀仏となふれば、十方無量の諸仏は、百重千重囲繞して、よろこびまもりたまふなり】と、おっしゃっておられます。
私のような愚かな生き方をしている者に、阿弥陀さまは大きな大きな大慈悲心のおはたらきで、私をそのまま抱きとって支えていてくださるのでしょうか。
勿体無いことですね。
実は今日、お斎(食事)の際に喪主さま(奥さま)が、手付かずに残っているご飯やおかずを「勿体無い」と言いながら、「私が持って帰って食べるわ」と包み始めたのでした。
それを見ていた子どもさんやお孫さんが、「暑いから痛むよ、だからやめたら?」と、声をかけてああました。それでもニコニコしながら、「私が若い頃は、このような美味しいものはなかなか食べられなかったのよ。」そう言ってどんどん包んでいました。
私はその光景を見ながら、亡き母を思い出しました。母はいつもタッパを出して持ち帰る人でした。それを思い出して喪主さまに「有り難いですね」と、申しましたら、「ご住職さんには分かってもらえたわ」とニコニコしていました。
飽食世の中で、それでも一日三食食べられない人が増えています、この日本では。
先進国と言われて久しい日本で、満足に食べられなくなっていることを忘れてはならないのですね。
当たり前じゃない。
お寺では、「仏の子は残しません」と子どもたちに教えます。
私はそれを言われ続けて、皆さまが手をつけなかったものを強引?にいただきましたので、このように大きくならせていただきました。
我が家は子どもも多く、決して裕福ではなかったけれど、おかげさまにて空腹で涙を流すような記憶はありません。親の苦労により何とか人並みに生活をさせていただきました。
お斎を勧められましたが、この初老にはさすがに厳しかったので手をつけることができませんでした。
そういえば、お斎の時、一般的には「献杯」と言いますが、仏教的にはやはり「乾杯」だと思います。なぜならば浄土真宗ならば、阿弥陀如来の他力本願により往生浄土をいただきます。
つまりは悲しいが、迷いを離れて、煩悩からも解放されていくのですから慶び(喜び)であるはずですよね。
皆さまは、お祝いの時には赤飯を炊きませんか?だったら迷いを離れて往生浄土の道を歩んで行かれたのですから喜びではないでしょうか。
その上、ご冥福まで祈ってしまうようでは仏教徒でも念仏者とも言えないのではないでしょうか。仏教伝道とは、ここをきちんと説明しご理解いただくようにしていくことではないのかと私は思っていました。
しかしながら、あまり強調していくのもどうかと思うので、やんわりと南無阿弥陀仏の声を通しながら、また勿体無いという日本が世界に誇る素晴らしい言葉だと、若い人たちにお話しするというのも大切ではないかと私は思っています。
わかったつもりではいけません。
【聞名】(もんみょう)が大事ですが、その内容をいかにして受け止めやすくお話ししていくのかは、私たち僧侶、私たち念仏者の腕の見せ所ではないでしょうか。
だって私たちは、阿弥陀如来さまの【お使い】なのですからね。
そんなことを思い考えさせられた一日でありました。
あれもすればよかった、あれができなかったと悔いながらでありましたが、収骨後お見送りをさせていただいた際に、ご宗家の皆さまが手を振ってくださったのは大変嬉しかったです。
また縁あればお会いできたら嬉しいです。
この世で無ければ、いずれお浄土にての再会を楽しみにしております。
今月もなかなか厳しい状況でしたが、皆様のお支えに助けられて何とか過ごすことができました。有り難いですね、感謝です。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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