不足のない生き方
- 超法寺の住職
- 13 分前
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仏さまの言葉
【ちょうどよい】
お前はお前で、ちょうどよい。
顔も体も名前も姓もお前に、ちょうど良い。
貧も富も親も子も、息子の嫁も、その孫も、
それはお前に、ちょうどよい。
歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない。お前にちょうどよい。
地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところがちょうどよい。
自惚れる要もなく、卑下する要もない。
上もなければ下もない。
死ぬ月日さえもちょうどよい。
仏さまと二人連れの人生。
ちょうどよくないはずがない。
いかがでしょうか。
このようなものの受け止め方こそが他力の道なのではないでしょうか。
不足を言い、都合良くいけばすぐに有頂天になり自惚れる生き方の私。また逆になれば、悲劇のヒロインのようなお涙ちょうだいの情けない生き方になってしまう。
お寺参りをして、それなりにお聴聞を重ねていても、いざとなれば私の性根はこんなもの。
他力とは真反対の自力、自力でありました。
お恥ずかしいです。
「他力他力とおもうていたが、おもうたこころがみな自力」
北陸のおばあちゃん、森ひなさん
私たちが聞法して、そこで聞いた仏法の言葉を頭で覚えて、わかったつもりで口に出している仏教用語は、みんな頭だけの知識、観念にすぎなかった。
頭で言葉で思う他力は、すべてみんな自力の分別はからいから出ていなかったのだと思い知らされます。
自力では、この私は救われないのです。
それなのに、「私はお念仏をお称えして生きているから大丈夫」などと自惚れてはいませんですか。
やはり、自力から逃れられない私、地獄行きのタネばかりこしらえていることにすら気づかずに生きている愚かな私。その、どうにもならないこの私をお見抜きくださった上で、どこまでも泥凡夫の私を抱きとって捨てずにいてくださる阿弥陀さまのお慈悲に頭が下がる、その一瞬だけが他力なんだとお聞かせいただきます。
不足を言うなら、「お前にはちょうどいい」と、言い聞かせながらお念仏お称えさせていただきたいです。今月も不安のまんま頑張ります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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