「人の一生」父の言葉
- 超法寺の住職

- 14 時間前
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「生まれて喜ばれ、年老いて邪魔にされ、病気して嫌がられ、死んで忘れられる」(不詳)
避けて通れない一生
老いより若さ、病気より健康、死ぬより生きる方に価値がある。
私たちが、年を重ねて行く中で知る、厳しいまでの人生の実相•現実です。
しかし本当に辛く悲しいだけの人生なのでしょうか。
阿弥陀如来さまは「私の人生をまるごと引き受け、尊いいのちを生きるのだから空しい人生ではない」と導かれ、それがはたらきてなって「今」「ここ」「私」に止むことなく無条件に注がれています。
そこに生きる意味すなわち居場所を与えられ、苦悩を乗り越える元気と男気をいただきながら、共に歩んでいける朋(とも)に出遇えることこそが一番を知らされます。
「本願力にあひぬれば、むなしくすぐるひとぞなき、功徳の宝海みちみちて、煩悩の濁水へだてなし」『高僧和讃』
お念仏に生かされるよろこびを一言で言うと?
「私が私に生まれたことの不思議さ」
「今を生きているという実感」
「かけがえのないあなたですと、いだかれている安らかさ」
「多くのものに、支えられている、満たされているという思い」
「安心して、この世を去ること、帰る処のあること」
浄土真宗本願寺派 超法山 大願寺
開基住職 故末田 龍圓[釋龍圓]
※お父さんの3年目の祥月命日にあたり、生前書き記していたものをご紹介いたします。
「生まれて喜ばれ、年老いて邪魔にされ、病気して嫌がられ、死んで忘れられる」は、口癖のように語っていました。長男はお父さんを邪魔に思ったことはありません。お父さんが病気しても嫌がることはありませんでしたよ。往生して生前以上に身近な存在であります。
かけがえのないたった一人のお父さん、有難う。たくさん迷惑をかけてごめんなさい。跡を継がなくて勝手ばかりで悲しませてごめんなさい。そして何より「生きる」ということの意味を全力で教え往生して行かれました。
やはりお父さんも諸仏でありましたね。
それを素直に受け止め喜ぶことのできない私は泥凡夫でありました。お恥ずかしいです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
2025プロ野球ドラフト会議で後輩が東北楽天より一位指名されました。大学初のプロ野球選手誕生です。
龍谷大へ行かずに花園大学に進んだ私を父はどんな思いで見ていたんでしょうね。今更ながら想いにふけました。何も言わなかった父でした。とにかく肝心なことは言わない人でありました。もっともっともっと話したかった。
もう間に合いませんがね。
南無阿弥陀仏を称えながら「お父さん〜」とお尋ねしています。




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