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心の中にある地獄

【仏教の智慧】凡夫の自覚

白隠禅師は江戸時代中期におられた臨済宗の禅僧です。臨済宗では中興の祖と言われています。

その白隠禅師のお話です。


ある時、白隠禅師の元に一人の武士が訪ねて来ました。おもむろに「地獄や極楽はどこにありますか?」と質問をされました。

しかし白隠禅師はその質問にまともに答えません。


「お前さんは武士であろう。武士という者は、生死を超越せねばならない。その武士が地獄極楽はどこにあるかと問うとは大方お前さんは死が怖くなったのだろう。お前のような武士を犬侍というんだ、このへなちょこ武士め!」と罵倒するのでした。


武士はしばらくじっと黙って我慢していましたが、白隠禅師があまりにも武士を侮辱するので、ついに怒りを爆発させて、「いかに高僧といえども、かくまでの侮辱を許すわけにはいかん。覚悟しろ!」と、刀を抜いて禅師に斬りかかりました。


すると白隠禅師は刀をひょいとかわし、すかさず言ったのです。

「それ、そこが地獄じゃ!」

武士は、ハッと気がつきました。


そして刀を捨てて、禅師に平伏し、

「和尚、申し訳ございません。ありがとうございました」と詫びを言い、お礼を言いました。


「おお、そこが極楽じゃ!」

白隠禅師はニコニコしながら、そう言ったのでした。


これは親鸞聖人と弁円(明法房)のやり取りとよく似ていると思いますね。

幾たびも親鸞聖人をつけ狙い、殺害を企てた弁円を、立場が逆なら私が殺しに行ったてまあろうと親鸞聖人は哀れみ慈しまれました。

こんな親鸞をも、阿弥陀如来は救いたもうた。煩悩逆巻く、罪悪深重の者こそが正客、との仰せの本願じゃ。何の嘆きがあろうか」と、悪人正機の弥陀の救いを語らえれています。


殺すも殺されるも、恨むも恨まれるも、共に仏法を弘める因縁になるのだと、命も惜しまれぬ親鸞聖人の姿に、仏の大慈悲を感じた弁円は、陽春の雪のごとく害心が消えうせました。


弥陀の本願一つを説かれる親鸞聖人を怨敵と呪い、殺そうとした弁円ですが、悪に強いものさは、善にも強し。光に向かって180度方向転換し、弥陀の本願宣布に挺身するようになられました。修験道の弟子や信者にまで弥陀の本願を伝えた弁円でした。


ガラリと生まれ変わった弁円は、親鸞聖人から「明法房(みょうほうぼう)」の名をいただき、生涯、親鸞聖人を無二の善知識(先生)と仰いで、関東で仏法を伝えた24人のお弟子(二十四輩)の一人に名を連ねています。


有名な弁円が詠んだ歌があります。

山も山、道も昔に、変わらねど、変わり果てたる、我が心かな


己の心ながら何と変わり果てたものだなぁと、本願力の不思議に驚き、懺悔と歓喜、あふれる謝恩の思いをうたっておられます。


地獄や極楽は、私たちが死後に行く世界ですが、同時に私たちの心の中にあるのです。

私たちが怒り心頭に発したとき、その心がまさに地獄なのです。その時に私たちは地獄にいるのです。私たちはその瞬間、地獄に堕ちているのです。


ではどうすればいいのでしょう。

死ぬまで煩悩から離れられない凡夫たる私はどうしても怒り、腹立ち、嫉み、愚痴、争いから逃れられません。

凡夫たる私にできることは、地獄の怒りに襲われた時、ああ、私は地獄に堕ちているんだなぁと自覚することです。


凡夫だからしょうがないと諦めて生きていくのではなく、その凡夫たる命にはたらいていてくださる阿弥陀如来のご本願南無阿弥陀仏を称えながら生きていくことではないでしょうか。

それこそが他力の道だと私は思うのです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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