浄土真宗だから良かった?
- 超法寺の住職
- 2 日前
- 読了時間: 4分
皆さま、こんばんは。
七月も早折り返しでミンミンセミの高らかな鳴き声が夏真っ盛りを伝えています。
新暦盆は終わりましたが、皆さまのご先祖からのメッセージはしっかり受け止めましたか?
こちらからしてやったではそれを知ることはないでしょうね。施餓鬼は地獄の亡者へのお供えであり、天国や浄土とは全く違う世界ですよ。
「死ねば仏」と言葉だけは知っていても、仏が何で仏の世界はいかなるものかを私が知らなければ意味はありません。
「え?どうして?」かって?
だってその訳もわからず生きている私がこれから行く世界の話だからですよ。
他人事ではないのですから。
地獄は私が日々こしらえて、その地獄に私が堕ちていく世界であります。やり得なんか仏には通じませんよ。
中には「私は浄土真宗で良かった」などとニコニコ笑っておられる方もありますが不思議です。仏さまは浄土真宗の方を勝手に救う方ではありませんよ。何か大きな誤解をされている気がするのは私だけではないでしょう。
真実の世界に目覚める世界が仏教です。
私の勝手な論理に仏さまを無理やり押し込もうなんてできるはずがありません。
私たちの無知な生き方は今行われている参院選の応援演説を見れば人間模様がよくわかります。どちらも私は正しい!と付き合わせていますから争いが起こるのです。
戦わないで政策を一生懸命訴える姿はどこか仏さまのよう。
【欲望にがんじがらめのあなたが堕ちる地獄】
【等活地獄】(とうかつ)
勝つために常に競争相手としのぎを削り合わさねばならない。まさに参院選のような。
挙げ句の果てには卑劣な手段を取ったり、悪宣伝、誹謗中傷、ポスター破りなど。
〈猟者の鹿に逢うがごとく、各おの鉄の爪をもって、互いに掴み裂く〉
そこは荒野である。例えば月世界のように草木も泉も何もない地平が果てしなく広がっている。ただ石ころばかりがゴロゴロと転がった不毛の荒野を一人の罪人が何かを求めて血眼でひたすら歩いてゆく。
罪人は孤独である。孤独だから仲間を探しているのではありません。ただ敵を求めて当て所なく歩いています。目はギラギラと光り、まだ見ぬ敵を叩きのめそうと心が昂揚とするあまり、忙しなく呼吸をしている。
罪人の身体の一部は凶器でできている。
爪である。爪だけがよく鍛えられた鋼鉄であり、指は全て短剣のように鋭く研ぎ澄まされている。罪人はこの凶器を行使するためにのみ生きている。しかし荒野にはその凶刃の犠牲になるべき人影が見当たらない。
「くそ、誰かいないのか」
罪人は吐き捨てるように言ったその時、はるか地平の彼方にポツンと黒い影があらわれた。
「いた!」
罪人は叫び、同時に駆け出していった。
「逃げるな」
相手もこちらに向かっている。
凄惨な戦いが始まった。
まさに血みどろの戦いであった。
鉄の爪でお互いに切り裂きあった。
激痛が走る。お互いに絶叫しながら骨になるまで戦う。
骨になると忽然と鬼が現れ、鉄の杖や棒で頭から足の先まで骨を打ち砕く。
あるいは裂いた肉を包丁でもって料理人のように細かく切り刻む。身体を粉々にされながら罪人は思うのだ。
〈これでいいのだ。この鉄の爪を持った肉体さえ無くなれば、もう争わなくてもよい〉
ところが、どうだろうか。
一陣の風が吹いてくると、罪人の身体は元に戻り、再び同じように荒野を目をギラギラさせながら彷徨っているのだ。
この【等活地獄】に堕ちるとされているのは、【殺生】をしてものだそうだ。
もちろんこれは人間だけではない。あらゆる命を粗末にしたものが堕ちる地獄だ。
命あるもの、虫や動物、魚、花も皆命を宿しています。まさか一切殺生しないで生きていくなど無理ですよね。
浄土真宗だから大丈夫ではありません。
浄土真宗のみ教えに遇い、仏法聴聞を勤しみ、南無阿弥陀仏のお念仏を申しながら生きていく。その上で阿弥陀如来のお救いにおまかせしながら生きた人が仏にならせていただくのであります。
どうかご先祖の願いを聞き入れて仏法聴聞するあなたになってくださいね。
南無阿弥陀仏
Comments