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『一本の鉛筆』そして

おはようございます。

「ピカ、ドン」広島を地獄絵図にした原子爆弾投下まで1時間、人間の憎悪の恐ろしさ。

皆さま、こんにちは。

私は体験してはいませんが、確かにあったのです。世界で唯一の原爆犠牲者は日本です。

戦争の恐怖は未だに続いていますが、この教訓が核使用の歯止めになっているのは間違いないのでしょう。


しかしながら未だに世界中で争いは尽きることがありません。悲しいことです。

毎年私は八月六日には美空ひばりさんの『一本の鉛筆』を聴いています。

皆さまはこの歌をご存知でしょうか。

YouTubeでもいいので一度聴いてみてほしい。


何かが変わるはずです。

どれほどの犠牲の中に私たちの平和が担保されているのか。関係ないことはないのです。

この世はすべて繋がっているのだから。

それをもう一度思い出す貴重な日、それが『原爆の日』ではないでしょうか。

この一年に原爆で亡くなられた方が4.940人。今までで総計349.246人

一つの中核都市くらいの人がお亡くなりになられたのです。


広島県は浄土真宗のお寺が全国的にも大変多いところで昔から安芸門徒と呼ばれ、大変ご法義厚いと知られていますが、それは「あらゆるものを南無阿弥陀仏で救いたい、救わずにはおれない」という阿弥陀如来さまの他力本願のはたらきを仰いできたことが一番ではないでしょうか。


人間は一人では生きれません。

どんな苦悩も人間の力は及ばないのです。

苦悩の私の「苦しい、助けて」とのたうち回っている私を阿弥陀如来さまはみそなわし、「まかせよ、救う」と、南無阿弥陀仏の声となり包み込んでいてくださるのです。

「助けてください」より先に、「まかせよ、救う」が先に届けられていたのです。


お慈悲のはたらきは、私が頼む前から先にあるのです。

阿弥陀如来さまのおはたらきは、「責めもせず、裁きもせず」であります。

その親心を知らずに生きていた人間の愚かさであります。まだ背を向けているのですか。

「原爆の日」は、私は黙祷をする日ではないと、ずっと思っている。

南無阿弥陀仏と声に出して感謝を表す日だと思う。南無阿弥陀仏は呪文ではないのだから。


熊本県の原口針水和上の言葉を味わってみてほしい。

われ称え、われ聞くなれど、南無阿弥陀(仏)、連れてゆくぞの、親のよび声


私たちの命の行方を知ってほしい。

これを知らなくば、どうやってこの苦難の人生を確かなものとして生きていくことができるだろうか。私はそう思わずにはいられません。

もう一度言いますよ。是非一度、美空ひばりさんの『一本の鉛筆』を聴いてみてほしい。


聴いた上で、8時15分の黙祷の時間を過ごしてもらいたいです。

私は今年もそうしますよ。


昨日は亡き母の祥月命日[三年]を故郷の千葉市中央区の大願寺でお勤めしました。

亡き祖母は七月が命日でしたので一緒に勤めました。二人とも広島県山県郡の出身である。

市内からはかなり遠いが、黒い雨が降り、キノコ雲が見えたそうです。さぞ恐ろしかっただろうね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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