10年ぶりのお盆参り
- 超法寺の住職
- 1 日前
- 読了時間: 2分
皆さま、こんばんは。
いよいよ盂蘭盆週間ですね。
まだ超法寺では自宅でのお盆参りをご希望される方がいません。お墓参りだけではいけません。浄土真宗は【仏法聴聞】するお宗旨です。
ではどうしてお盆参りが大切かといえば、皆さまはご先祖の「今」をきちんとご理解されていますか。
一般的には、お盆には地獄の釜が開いて帰ってくると言われます。
だから一刻も早く帰って来て欲しいから、きゅうりを馬に見立てて割り箸を足に見立ててお供えします。また帰る時は名残惜しいから、少しでもゆっくり帰って欲しいからと、ナスを牛に見立てて、やはり割り箸を足に見立ててお供えしたり、また提灯を持ってお墓までご先祖をお迎えに行く、そんな大昔からやっている風習を未だにやっていたりします。
これが浄土真宗の門信徒がやられていたりするから【門徒もの知らず】の所以になります。
日頃から仏法聴聞を重ねていないと俗説に振り回されて【他力本願】にならない生き方になります。
阿弥陀如来は、浄土真宗の方だけをお救いくださる仏さまはではありません。
地獄行きを知らずに生きている私たちにその自覚を持たせ、真実の道を歩むように導いていてくださるのです。
これに背を向け続け、煩悩具足の生き方を改め少しでも阿弥陀如来のお救いを受け止めて生きていくようになることが大切だと思います。
「籠耳」(かごみみ)
聞いて忘れて、忘れて聞いて、わたしゃ
籠耳、お慈悲の水に今日も一日さぶりと
浸かり、ご恩よろこぶしあわせ者よ
[渡邊尚爾師]
こういう生き方を日々重ねて生きていくのが真の浄土真宗信者ではないかと思います。
「お慈悲の水に」は、南無阿弥陀仏の声の中に身を置くことだといただいています。
暑い毎日ではありますが皆さまが集まるお盆に是非お寺さんに来ていただいて仏法聴聞をする機会を持たせていただきたいですね。
「地獄に堕ちる私を、堕とさせないとはたらき詰の阿弥陀さまを知りたいですね」
だからでしょうか、浄土真宗の教えが深く根づいている広島県では盂蘭盆を【歓喜会】(かんぎえ)として喜びのご法事をつとめておられます。
私は実家寺を退職して10年、10年ぶりにお手伝いではありましたがお盆参りをさせていただいて懐かしい気持ちと共に嬉しさを再認識させていただきました。
当たり前のように毎年お参りしていたあの時が、実はどれほどしあわせな時だったのかを思い知らされた今日でありました。当たり前など無いんですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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