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死んだらおしまい?

皆さま、こんにちは。

今朝は少し雨が降ったおかげで少し過ごしやすいですね。それも気持ちだけですが。

もうすぐ盂蘭盆を迎えますね。

皆さまはお墓まで迎えに行ったり、送りに行ったりされますか。それはなぜ?

ご先祖さまはお墓で眠っておられるからですか。確か以前に流行った歌に『千の風』がありましたね。歌詞には「私はそこにはいません、眠ってなんかいません」とありました。

あの歌はキリスト教的な意味合いだと聞いたことがあります。

浄土真宗のみ教えを聞いてください。


浄土真宗では盂蘭盆とは言わずに【歓喜会】という。それはなぜでしょう。

ウチは浄土真宗と言いながら、お供えにきゅうりや茄子に足を付けて飾ったりしますよね。

あれは地獄に行かれた人が帰ってくるという話からされるのですが、皆さまのご先祖さまは地獄に行かれたのですか?


よく浄土真宗のみ教えを聞いてくださいませ。


【往きし人は、仏と成って、あなたを導き育てます】(あるお寺の掲示板に書いてありました)


世の中には「死んだらおしまい」という人がおられます。おしまいになれますか?

善きにつけ悪しきにつけ、故人が思い出されます。

「ええ人だった」

「何と嫌な奴だった」等々、死んでもおしまいになれません。


私は亡き人をすべて仏さまと拝み、南無阿弥陀仏とお念仏を称えます。

仏さまとして拝むということは、仏と成られたお方のお育て、お導きをいただくということです。


「親は死んでも子どもを育てる。親なればこそ、先立つ子どもに育てられる」と、言いますよね。


これまで私もたくさんの方々を見送ってきました。その中には、良い人も悪い人も、賢い人も愚か者も、好きな人も嫌いな人もいました。

善い人と言っても賢い人と言っても、生きている間は、すべて間違いなく煩悩具足の自己中心の欠点だらけの【凡夫】です。


その凡夫が仏さまとなって私を育てるのです。


善い人は善い人の姿で私を照らし育てる。

悪い人は悪い人として私を照らし育てる。


賢い人、愚か者、好きな人、嫌いな人、皆それぞれの姿で私を照らし導き育ててくださるのです。

そのたくさんの仏さまのお育てがあって、お浄土に生まれ仏に成るという、【お念仏の人生を歩ませていただく】のです。


是非、仏法を聞く人になりましょう。

真実ではないものを真実と受け取り、不安の中に生きていくのではなく、安心して生きていける道を亡き人から学んでいきたいものですね。

それこそが皆さまの大切な方の皆さまへの願いなのだから。

あれこれしなさいなどとはおっしゃっいません。ただ、真実なる阿弥陀如来のご本願に私を寄せて生きていく、ただそれだけ。


南無阿弥陀仏とお念仏を称えながら生きていきましょう。


あ、また暑くなってきました。

熱中症に気をつけてお過ごしください。

こまめにお水(コップ一杯程度)を飲んでください。

人間の身体は一度にたくさんの水は吸収できません。水中毒にならぬよう気をつけてお過ごしください。

私は後遺症に苦しんでいますけど。

それもあなたとご一緒に。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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