安穏法話会
- 超法寺の住職

- 4月25日
- 読了時間: 3分
今月の法話会は4名の参加でした。
相変わらず男性のみの参加ですが、和気藹々でした。
今月は旧暦の宗祖降誕会、花まつり(お釈迦さまの生誕日)、浄土真宗立教開宗
と仏教行事がありました。
超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ「総序」
超法寺はここから命名しました。
ただ、、いつも電話で寺号をお伝えするとわかってもらえないのがたまに傷。
「超」って、「超人の超」、「超えるの超」、「スーパーの超」、いずれもご理解いただけず、葬儀社担当が怒ってしまい依頼がキャンセルになったこともありました。
でも超法寺の寺号は浄土真宗ではウチだけであります。
この字で検索するとウチのお寺が出て参ります。
この度は無常から他力、自力の違いについてお取り継ぎしました。
浄土真宗の信心は「疑心なきを信心という」教えです。
私たちは何事にも素直に受け止めることが難しいものですね。
特に学のある人や、役職に長の付く人は昔からお寺には参れないというのが常であります。それはなぜでしょうか。一説には頭の下がるような人でないとというのです。
確かに偉い人は自分で頭を下げることがありません。下げるのは部下が下げるのです。また手を組む時も偉い人は後ろ手を組みます。
念仏者は頭が下がる人ですから手は前に組むものです。
特に禅に生きる人は立っている時も歩いている時も常に座禅を組んでいるので、手は常に前に組むのです。浄土真宗は手が前に組むのでいつでも前に頭が下がるものです。えっへんとはならないものです。皆さまはどうですか。
お念仏はどうして称えるのか。
阿弥陀さまは煩悩具足に生き、偏見に物事を見てしまう真実を見失う凡夫を哀れみ、仏の方で先手を打って南無阿弥陀仏と喚んでいてくださいます。
「まかせよ、救う」のおはたらきであります。
このよびごえをそのまま聞いて疑わずにが他力であります。
お願いして私の願いを聞いていただくのは自力であって他力ではないのです。
自力ではお念仏を称えても救いからは遠くなるばかりです。
ここをきちんとお聞かせいただいて、そのまま受けとって行くのが浄土真宗のおみのりであります。
だからこそ日頃からの仏法聴聞が大切なのです。
それなのに、勉強したい人ほどお寺参りができないのが現実なのです。
阿弥陀さまはとうの昔から自力の生き方をお見抜きしておられるのです。
どうぞお寺にお参りください。蓮如上人は暇をかぶりて聴聞すべしと、おっしゃっています。暇があったらではなく暇を作って聴聞すべしとおっしゃっています。
人生を豊かに生きたい人は聴聞を習慣にしたいものです。
南無阿弥陀仏
今月、お誕生日の門徒さんを囲んでささやかなお祝いをさせていただきました。
こういうことも超法寺ではさせていただきます。
この度は、超法寺信徒の鈴木さんの娘さんが嫁がれたケーキ屋「モカマロ」でホールケーキを購入しました。入間市、西武池袋線武蔵藤沢駅から近くにあります。お近くにお越しの際は是非お立ち寄りくださいね。
住職からのお勧めです。




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