top of page

正満寺布教

千葉時分から長らくお世話になっています柏市の正満寺さまへ出向しました。

ご住職、そして隣寺の徳法寺のご住職もお聴聞してくださいました。

正満寺ご住職の弟さんで、やはり千葉時分には大変お世話になりました。本当に久しぶりでありました。また副住職さんは中央仏教学院本科生のクラスメイトで、長いお付き合いをさせていただいています。

そんな有難い仏縁を結ばせていただく中、さまざまな出会いの中で多くを学ばせていただいています。

この度は、今年のテーマであります両親への感謝をお取次しました。

ご讃題は、親鸞聖人のご和讃から、「高僧和讃 善導讃」


「釈迦弥陀は慈悲の父母

種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたもうなり」


両親は二人してあの手この手をかけて愚かな生き方の私に、間違いのない南無阿弥陀仏(他力の信心)を受け取れるようにしてくださいました。

有難いですね。

なかなか素直になれない、疑い深い私に一生懸命に心を鬼にしてでも阿弥陀さまを知らせてくださいました。

サヨナラしない倶会一処の世界を教えてくださいました。

どんなに感謝しても足らない位に我が親は心を砕いてくださいました。仏さまのように。

確かに両親がこの世を去リ寂しいですが、南無阿弥陀仏の中にいつでも父母に遇うことができる喜びがあります。


そんなことを思いながらお取次させていただきました。


【声に姿はなけれども 声のまんまが仏なり

仏は声のお六字と姿を変えて我に来る】〈髙松悟峰〉


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

最新記事

すべて表示
不断煩悩得涅槃

人間たる者は、日々の生活の中で 煩悩から逃れることは非常に難しいというか、 死ぬまで苦しみ続けるものです。 かの一休禅師も最後の言葉は「死にとうない、ほんまじゃ」であったと言われるほどです。私たちのように日々、仕事に趣味を持ち、家族を持つものにどうやって修行をし、それを成し遂げることなどできるのでしょう。無理です。 煩悩を克服できない者は死んでも悟りの境地に至ることなどないのです。 三毒の煩悩 貪

 
 
 

コメント


bottom of page