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『正信偈』信心をいただく人

如来所以興出世[にょらいしょいこうしゅっせ]

一切の仏さま方が、この世に出られた訳を尋ねると


唯説弥陀本願海[ゆいせつみだほんがんかい]

阿弥陀仏の広大無辺の慈悲を説くためでした。


五濁悪時群生海[ごじょくあくじぐんじょうかい]

時代が移り変わり悪い時代に生を受けても


応信如来如実言[おうしんにょらいにょじつごん]

み仏の真実のおススメを伝え聞けば


能発一念喜愛心[のうほついちねんきあいしん]

み仏の救いたい一心により信心を喜ぶ心がおこり


不断煩悩得涅槃[ふだんぼんのうとくねはん]

自分で欲望を断ち切れなくても、願いに摂めとられます


凡聖逆謗斉回入[ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう]

凡人も聖人も、いかなる罪をなしたる人でも入ることができ


如衆水入海一味[にょしゅしいにゅうかいいちみ]

海に注いだ川の水が同じ味になるように


摂取心光常照護[せっしゅしんこうじょうしょうご]

等しくみ仏の慈愛の光の中に入りて人々は常に護られます


已能雖破無明闇[いのうすいはむみょうあん]

無常の身が、既に光の浄土へ迎えられることに定まり


貪愛瞋憎之雲霧[とんないしんぞうしうんむ]

欲や腹立ち怒り憎しみでいっぱいの私たちでも


常覆真実信心天[じょうふしんじつしんじんてん]

いつも広大なみ仏の尽きない思いの中にあります


譬如日光覆雲霧[ひにょにっこうふうんむ]

それは丁度、雲に日光がさえぎられて、


雲霧之下明無闇[うんむしげみょうむあん]

雲の下であっても光は届き暗闇ではないように


獲信見敬い大慶喜[ぎゃくしんけんきょうだいきょうき]

如来の心を敬い喜ぶことができたならば


即横超ぜつ喜愛心[そくおうちょうぜつきあいしん]

即座に悪道へ行く道筋が断ち切られます


一切善悪凡夫人[いっさいぜんまくぼんぶにん]

善人も悪人も、とらわれのある人であっても全て


聞信如来弘誓願[もんしんにょらいぐぜいがん]

如来の誓いを、よくよくいただいた信心の人は、


仏言広大勝解者[ぶつごんこうだいしょうげしゃ]

み仏の広大な真意を受け入れた人として


是人名分陀利華[ぜにんみょうふんだりけ]

香気のある蓮華のようだと誉められます


弥陀仏本願念仏[みだぶつほんがんねんぶつ]

阿弥陀仏の願いから出たお念仏は


邪見驕慢悪衆生[じゃけんきょうまんなくしゅじょう]

横車を押し、驕り高ぶりの強い人々には


信楽受持甚以難[しんぎょうじゅじじんにんなん]

み仏のお心を素直に受け入れることができず


難中之難無過し[なんちゅうしなんむかし]

信心は得難く空しく人生は過ぎて行きます



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