『正信偈』信心をいただく人
- 超法寺の住職
- 18 分前
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如来所以興出世[にょらいしょいこうしゅっせ]
一切の仏さま方が、この世に出られた訳を尋ねると
唯説弥陀本願海[ゆいせつみだほんがんかい]
阿弥陀仏の広大無辺の慈悲を説くためでした。
五濁悪時群生海[ごじょくあくじぐんじょうかい]
時代が移り変わり悪い時代に生を受けても
応信如来如実言[おうしんにょらいにょじつごん]
み仏の真実のおススメを伝え聞けば
能発一念喜愛心[のうほついちねんきあいしん]
み仏の救いたい一心により信心を喜ぶ心がおこり
不断煩悩得涅槃[ふだんぼんのうとくねはん]
自分で欲望を断ち切れなくても、願いに摂めとられます
凡聖逆謗斉回入[ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう]
凡人も聖人も、いかなる罪をなしたる人でも入ることができ
如衆水入海一味[にょしゅしいにゅうかいいちみ]
海に注いだ川の水が同じ味になるように
摂取心光常照護[せっしゅしんこうじょうしょうご]
等しくみ仏の慈愛の光の中に入りて人々は常に護られます
已能雖破無明闇[いのうすいはむみょうあん]
無常の身が、既に光の浄土へ迎えられることに定まり
貪愛瞋憎之雲霧[とんないしんぞうしうんむ]
欲や腹立ち怒り憎しみでいっぱいの私たちでも
常覆真実信心天[じょうふしんじつしんじんてん]
いつも広大なみ仏の尽きない思いの中にあります
譬如日光覆雲霧[ひにょにっこうふうんむ]
それは丁度、雲に日光がさえぎられて、
雲霧之下明無闇[うんむしげみょうむあん]
雲の下であっても光は届き暗闇ではないように
獲信見敬い大慶喜[ぎゃくしんけんきょうだいきょうき]
如来の心を敬い喜ぶことができたならば
即横超ぜつ喜愛心[そくおうちょうぜつきあいしん]
即座に悪道へ行く道筋が断ち切られます
一切善悪凡夫人[いっさいぜんまくぼんぶにん]
善人も悪人も、とらわれのある人であっても全て
聞信如来弘誓願[もんしんにょらいぐぜいがん]
如来の誓いを、よくよくいただいた信心の人は、
仏言広大勝解者[ぶつごんこうだいしょうげしゃ]
み仏の広大な真意を受け入れた人として
是人名分陀利華[ぜにんみょうふんだりけ]
香気のある蓮華のようだと誉められます
弥陀仏本願念仏[みだぶつほんがんねんぶつ]
阿弥陀仏の願いから出たお念仏は
邪見驕慢悪衆生[じゃけんきょうまんなくしゅじょう]
横車を押し、驕り高ぶりの強い人々には
信楽受持甚以難[しんぎょうじゅじじんにんなん]
み仏のお心を素直に受け入れることができず
難中之難無過し[なんちゅうしなんむかし]
信心は得難く空しく人生は過ぎて行きます
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