末通りたる愛
- 超法寺の住職

- 11 分前
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わが妻子ほど不便なることなし。それを勧化せぬはあさましきことなり。宿善なくちからなし。わが身をひとつ勧化せぬものがあるべきか。
『蓮如上人御一代記聞書』
現代語訳
人は誰でも妻子ほど愛おしい者はない。
この愛おしい妻子を導いて信心得る身とさせないなら、実に嘆かわしいことである。
だが、教え導こうとしても、宿善がなかったら、不可能である。
およそ、他人を導くことは容易ではないとしても、まずもって自分自身を教え導かないでいてよかろうか。
浄土真宗の眼目は、【自信教人信】(自ら信じ、人に教えて信ぜしむ)
もちろん信仰は個人の問題であり、真実の自己をいかに実現するかを探究するかにありますが、目指すべきは、「生かされて生きる」の自覚を知り、「世のため人のために尽くす」私の完成であります。
親鸞聖人夫妻が「倶会一処」(ともに一処に会う)という、お浄土での再会を願われたのも、家庭における念仏生活の充実を大切にされ、常に仏智に抱かれて、おかげさまと喜び生き抜かれたからであります。
他力の信心を賜り、南無阿弥陀仏と念仏申す身となることも、それからの念仏生活もすべて仏智のはたらきによるものであります。
私たちは人間に生まれて、自分で念仏の教えを聞いて先祖のおかげで信心を得たと思いがちですが、実はそれは思い違いで、過去の気の遠くなるほど昔から私たちは、阿弥陀如来の摂取のはたらきをこうむり、仏智に育てられてきているのであります。
これを宿善(宿世の善根)と言われました。
蓮如上人は宿善と言われ、親鸞聖人の「遠く宿縁を慶べ」を感じずにはおれませんね。
蓮如上人は六歳の頃、生母と生き別れ寂しい幼少期を過ごされました。継母には優しくされずに育ったと言われます。また本願寺を継ぐ二年前に、最初の内室如了尼と死別、吉崎時代にはニ女見玉尼(けんぎょくに)を失い、また六年後に内室如勝尼(にょしょうに)を失うなどの不幸が続きます。
しかしどの場合も、亡き人が念仏の信仰に生きた女性であったかと讃える文を製作されて、その徳を偲んでおられるのです。
「妻子ほど不便なることなし」
念仏の拠り所を得て、永遠のいのちの世界に生きる身となれかしと願い続けた蓮如上人にとって末通りたる愛とは、「浄土の慈悲」の中に生き続ける人となることなのでしょう。
妻子の素晴らしさ、有り難さは失ってこそ知ることも多いのでしょうね。私自身もまたそうであります。他人には決してわからないものがあるのです。そんなことをふと思いました。
私をより深く念仏生活に歩ませていただくために、あれは必要なことだったと思いつつ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
おやすみなさい。




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