たった一つの命
- 超法寺の住職

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皆さま、こんにちは。
また台風が近づいてきているようですね。
来るたびに冬が近づいてきます。
賑やかなお祭りも済めば寂しさを感じます。
私たちは生きる無常世界はそんなもの。
航空自衛隊入間基地航空祭も約26万人の来場がありました。ブルーインパルスの華麗な展示飛行に酔いしれた方も多かったことでしょう。
その反面インスタを見てるとマナー違反する方が一定数おられたようで寂しい気持ちになりました。
自我を盾にするあまりに他者を傷つけたり、嫌な気持ちにさせたりするのは非常に悲しいことです。また横暴な自動車運転により事故が起こり、多くの人が傷つき、尊い命が失われました。
毎日のようにクマ被害が報告されて、我が町入間でも目撃情報があります。熊が悪いのか、熊の生活環境を奪ってきた私たち人間にこそ原因があるのでしょうか考えてみたいですね。
熊が出没したり熊被害があると猟友会の方が駆除していますが、猟友会も高齢化であったり、人数もかなり減っているそうです。原因の中には報酬が少なくなっていたりも影響していたりするそうです。また警察官や自衛隊が駆除してくれたらと言われる方もありますが、警察官はライフル所持の資格を有していないため難しいようです。今後は対応するように望みます。
また自衛隊が実弾を使用すると回収も含めて色々大変なんだそうです。
高市早苗総理には今後政府として法整備をお願いしたいです。
さて話は変わりますが、浄土真宗は方便の宗教と言います。方便とは、接近する、直結する、結びつくという意味です。
仏さまの方がこの私に近づいてくださって、私そのものに直結してくださるということです。
そして仏さまが私の中に生きてくださって私自身になってくださるということであります。
私のことを常に案じ続けていてくださるということを表現する言葉が方便なのです。
仏法を学ぶということの第一歩は、自分はこれまで何十年もの間、うっかり過ごしてしまったが、やっと人間にとって一番大事なこと、【人間を生きるとは何だろう】という問いをいただくけどができたという感動を得ることだと私は思うのです。
そのことに気づいていくということは、人間は一人で生きているのでは無い、あらゆる命のつながりによってなされている事実への目覚めであり、私をここに存在させる方々への感謝を忘れない私になるということではないかと思うのです。
そうなれれば、今さまざまなことが起きていること全ては決して私と関係ないものはないと捉えていくことができるのではないでしょうか。
そんなことを思いながらブログを書いてみました。決して強制ではありません。
それぞれの命に阿弥陀さまははたらいていてくださっていますから。
私が私で良かったと思える私になるように願い続けておられます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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