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仏さまはどこにいるのですか?

安楽仏土の依正は 法蔵願力のなせるなり

天上天下にたぐひなし 大心力を帰命せよ

              「浄土和讃」


一度もお寺にお参りしたこともなく、もちろん法話も聞いたことのないお母さんのお話です。病気で床に臥していた子どもさんが今にも亡くなりそうな時に、「仏さまが天国に連れて行ってくれるよ」と、曖昧な言葉わかけたそうです。

すると子どもさんは、「天国ってどこなの?仏さまってどこにいるの?」と言いました。お母さんは、「お仏壇の中にいる仏さまですよ。」

「だって、絵の仏さまがどうやって天国へ連れて行ってくれるの?」

答えを持っていないお母さんは急いで、信心深い人に話してもらおうと呼びに走ったが戻るともう子どもは事切れていました。


お母さんは、自分が無信心なために、可愛い我が子に往き先を見失わせてしまったことを深く後悔して、それからは熱心に仏法を求めるようになったそうです。

人は、往き先がわからないほど不安なことはありません。

それ何に若かったり、元気だったりしますと疎かになるものです。

皆様はどうでしょうか。


浄土真宗は他力本願の教えです。

疑心なきを信心と言います。

阿弥陀さまは、「我が名を称えて往生してくれ」と願いを南無阿弥陀仏に込めて私たちに届けていてくださいます。

称えよう、称えようと思っても受け止めることのできる私になりませんと称えることはできません。また称えても「救ってください、良いことがありますように、病気が治るように」などという自分勝手なお願い事のお念仏ではいけません。

そこがなかなかわからないのです。だからいざ臨終を迎えるに往き先がわからないまま死んでいくことほど苦しいことはないのです。


死後に安心して行ける世界、そこが阿弥陀さまの「安楽国土」なのです、

法蔵菩薩は、一切の人々の根本的な帰依所として「安楽国土」を願われた。生死の流転に苦しみ、濁世の罪業に憂悩した者たちの最終的な安住の地です。


親鸞聖人は、「五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と申されました。

法蔵菩薩によって誓われ、完成された仏国土は、あらゆる人々を救うためにには絶対になくてはならないところとして親鸞聖人は受け止められ、真実の世界として表明されたのです。

一切の人々の切ない願いを深くお心におさめた表白でした。


人間であればこそ聞くことのできる仏さまの願いを聞かずに生きることの愚かさ、聞いてもなかなかわからないと言うのにお寺にも参らず、法話も聞こうとしない。

そんな私をお見抜きくださって、あの手この手の手段で聞かせようとおはたらきくださるのがご先祖ではないでしょうか。

悲しみ苦しみに出遇えばこそ、耳を傾ける機会を知ることができるのでしょう。

お念仏申せと言われても称えられない私を阿弥陀さまは承知をされ、先手の仏さまとなられました。


南無阿弥陀仏の声となって、届いていてくださいます。


聞いて忘れて 忘れて聞いて

わたしゃ籠耳 お慈悲の水に今日も一日 ざぶりと浸かり

ご恩喜ぶ幸せ者よ


阿弥陀さまは親のように子どもが忘れてもいいのです。

親は決して我が子を忘れません。

まかせきることこそがおまかせなのです。

これこそが他力本願の世界です。


※天国は神の世界(神様との契約を守れた人が参る世界)で、浄土は仏の世界です。


往き先を正しく知って、安心して臨終を迎えられるようにしたいものですね、

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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