春季彼岸会厳修
- 超法寺の住職

- 1 日前
- 読了時間: 2分
この度の超法寺春季彼岸会は、柘植芳秀師(世田谷区常栄寺住職・本願寺派布教使)をお迎えしてお勤めしました。柘植氏は私が得度(お坊さんになる為の研修)の時に同じ班だった時からの付き合いです。つまり43年もの長きにお付き合いさせていただいています。一度どうしても超法寺にお招きしてお聴聞したかったので大変嬉しく思います。
相変わらずお参りは少ないので恐縮なのですが、それでも私自身がお聴聞したかったのです。「お彼岸」、「般若心経」など多彩なお取り継ぎをしていただきました。阿弥陀仏は、地獄行きの生き方を知らずに罪を重ね、自身の行き先も知らずに生きている愚かなものを一番に救ってやりたいと先手でおはたらきくださる仏さまです。
勝手に救うのではなく、届けて、受け取らせて、称えさせてのお救いであります。
浄土真宗のおみのりは、本願他力のお救いを聴聞することにより賜る信心、それを他力本願と申しています。人任せにすることではありません。
自身の問題として仏さまのおはたらきに目覚めて、そのまま受け取らせていただくのであります。これは一度聞いたらそれで良いのではなく、身心で受け取らせていただくのです。なぜなら人間とは忘却の生き方だからであります。
渡邉尚爾先生は、「籠耳」
聞いて忘れて 忘れて聞いて わたしゃ籠耳
お慈悲の水に 今日も一日ざぶりとつかり ご恩喜ぶしあわせものよ
とおよみくださいます。
つい、わかると水から飛び出してしまうのが愚かなものの生き方です。
水とは南無阿弥陀仏の阿弥陀仏の大慈悲心であります。
どうにもこうにも浄土真宗の学びは学校の学びとはだいぶ違うのであります。
ここをどうも勘違いしている方が多いのが残念であります。
頭で覚えたものは結局忘れてしまう。忘れた途端、不安な私が残るのです。
ひっくり返ることがない真実なる法が、南無阿弥陀仏を愚痴のこの口にお称えして生きていくことなのです。
どうぞ、寄席を見るようにして仏法聴聞していただきたいと思います。
今回は初めてお参りくだされた方と茶話会でケーキを食べながら談笑しました。
ちなみに29日は住職の59回目のお誕生日です。
皆で分かち合うことは素晴らしいことです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




コメント