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私のすべき人生の役目

更新日:2022年9月12日

皆さま、こんばんは。今日は朝から晴れたり雲ったりでしたね、台風の影響でしょうか。

さすがに晴れ間が出ると残暑を感じますがそれでもやはりもう夏は終わりに近づいているように思います。

またこの時期に蝉の鳴き声を聞くと哀れに感じます。

それはどうしてか?もう今年に生まれた蝉のほとんどは役目(子孫を残す)を終えて生涯を終えているのです。

ということはほとんどつがいになれるチャンスは残ってはいない可能性があります。


そう思うと思わず「頑張れ」と思わずにはいられませんよ。


さて、それでは私たちの人生の役目は何でしょうか。


それはなんと言っても「輪廻転生を終える」ことではないかと思います。

ただ生きて死んだだけでは私たち人間はこの輪廻転生を終えることはできません。

致死率100%の私、そしていつ死ぬかは誰にもわかりません。今夜かもしれないし明日かもしれません。

来週かもしれませんし来月かもしれません。

しかしながらこうして生きているということはいつか必ず命を追えていかねばなりません。


それなのに大多数の方はそれを我が事として受け止めず、今の快楽に没頭していないでしょうか。

ニュースの話題ばかりに飛びついて飽きたら忘れていく。この繰り返しじゃないでしょうか。


私にはそう思えてなりません。

一体いつまで生きる?死んだら天国に行くの?

天国に行ってどうするの?

天国に行っても「神」にはなれないというのに、本当に幸せになれるのでしょうか。

私たちが本当に幸せになるってどういうことでしょうか。


先日、敬虔な浄土真宗のご門徒さまのお参りに行って質問されました。(ちょっとビックリしたよ)

ご住職、亡き人は魂になられたの?霊になられたの?

一体どうなっていったのかわからないです。

正直、私は何に手を合わせたらいいのですか?

どうしてもわからずモヤモヤしています。


いやはやかなりビックリしてしばらく黙っていました。

頭の中で、どうやって説明したら納得していただけるかを思案しました。(皆さまはどう答えますか?)


先ず、この耳に南無阿弥陀仏を聞くことができたならば、いずれはお浄土に生まれて、いずれ仏にならせていただける。(宗祖親鸞聖人はご和讃に「宮殿のうちに五百年」とおっしゃっています)

つまり本当の浄土でなく仮の浄土往生する【化土】


この愚痴や他人の悪口を言う私の口が南無阿弥陀仏と動き、いつでもどこでもナンマンダブツが出てくださり、その上、お念仏を宝物に思えるようになれば、この命が終わってすぐに【即得往生】🟰【報土】いたします。

喜べるようになかなかなれるものではありません。

仏法を日頃からお聴聞を重ねていくしかありません。

たま〜にしか聞かない人や空念仏(ただ何となく称えている)では死んで直ぐにはお浄土へは生まれられないそうですよ。


私たちはしてはいけないとどんなに言われても慎むことができません。男性で250戒めがあり、女性は350戒めがあると言われています。これが克服する(修行)ことができなければお浄土へはいかれません。(阿弥陀さまを疑っていては救われないそうです)🟰【自力】


中でも最低でもこの五つを守れないとダメだとおっしゃっています。

①嘘をついてはいけません

②殺してはいけません(あらゆる命を)

③盗んではいけません(お金だけではない)

④男女のトラブル(不倫など)を犯さない

⑤飲酒をしてはならない


さて皆さまは全部できますか?

一つできてもダメです。五つすべて克服しなくては自力で救われる道はございません。

私はお恥ずかしいですができません。


ですから、阿弥陀さまはどんな命でも我が名を申すものを必ず救いとるという【ご本願】を仕上げてくださいました。

私が頼まないのに。それを宗祖親鸞聖人は「不可称 不可説 不可思議の」【称えることも説くことも思うこともできない素晴らしい法であると喜ばれました】


私はただ、この素晴らしい法のままにおまかせすればいいのです。

頑張ることもありません。頑張ってもできないのだから。それを全部わかった上でお悟りを完成してくださいました。

だから私が修行して成し遂げなくてはならないものは何もないのですよ。

完成してくだされたおいわれをきちんと素直に聞いて、そのままおまかせすればいいのです。


先人は、「われ称え われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれてゆくぞの 親のよびごえ」と詠まれています。


浄土真宗では阿弥陀如来という仏さまを【親さま】ということがあります。親なればこそ我が子を見捨てられない親心がありますよね。

阿弥陀如来さまは、そのようなはたらきで我が子のようにお見ぬきしてくださり、気づけよ、気づいてくれよ、と離れずに願いを込めてお届けくださるのです。


人間の親も我が子に「気づいてくれよ」という願いを込めて色々言う。「こんなことを言ったらあの子は嫌がるだろうな」それがわかっていても親なればこそ言わずにはいられないもの。

自分が嫌われても我が子には気づいてほしい、わかってほしい。親は一生懸命なのですね。(ま、親にも色々あるので一概には言えません。我が子を決して忘れない親を基本に語ります)


親なればこそ、その思いがまるで阿弥陀如来さまの願いなのです。

あなたを間違わせないから我が名を称えて往生してくるよ、との願いなのですね。


以前、この話をして叱られたことがありました。

「ご住職、そう言いますが私はいつも心の中で一生懸命お念仏を称えていますよ。」と。

皆さまはこれをどう思いますか?

やはり同じ思いですか?


冷静になって考えてくださいね。

皆さまは、お父さん、お母さんに用事がある時に、心の中で「お父さん!お母さん!」と呼ぶのですか?


それをお父さん、お母さんに言ったらなんて言いますか?きっと「お前、お父さんもお母さんもお前の近くにいるんだから声に出してくれないとわからないじゃないか。」というはず。違いますか?


つまりはこういうことですよ。

ご納得いただけましたか?


またある女性は「私は恥ずかしいので人前でナンマンダブツを言うのが嫌です」と、おっしゃる。

それなついて宗祖親鸞聖人のお師匠の法然聖人さまはこう言われたそうですよ。

「念仏は他人に聞かせるものではないよ。だから声を張り上げる必要はないんだよ。ナンマンダブツを我が耳におまえのことはもう助けてあるから心配するなよ、と自分の耳に聞こえるように称えてくれよ」と、おっしゃっていますよ。


これが南無阿弥陀仏です。

素直じゃない、わがままな私を全部わかった上で難しいものをたった六字【南無阿弥陀仏】にぎゅっと凝縮してくださったのですよ。

有り難いですね。

皆さまどうか、南無阿弥陀仏が宝物に思えるように称えられるようになさってくださいね。

そうなれば、今後どんなことになっても安心ですよ。


私は亡き母が生涯をかけて私が南無阿弥陀仏と一緒に生きていけるようにしてくださいました。

私の大切な【善知識】でありました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏



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