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安倍元総理銃撃事件

【亡き人を仏と拝み 拝まれる仏になると

今を生きる】


恩師、福田康正師がお寺の掲示板に書かれた言葉です。

⭕️これがお念仏の道です。


安倍元総理が昨年7月8日午前11時半頃、奈良県で遊説中に42歳の元自衛官の男に銃撃され、その日の17時3分に死亡が確認されました。

容疑者は、母親が狂信した旧統一教会と安倍元総理が深くつながっていると思っていたための犯行だという。

容疑者の母親は、度重なる不幸の中、この宗教に入信し、「不幸や災難は先祖の因縁」と教えこまれ「先祖供養」のためと多額の献金をさせられ、そのために家族は崩壊して母親は自己破産、容疑者の兄は自死されてしまったそうです。そのため容疑者の男は、自分も人生を狂わされたと、この宗教団体に対する憎しみを増幅させ、犯行に至ったそうです。


さて「先祖が迷っている」、「死んだ者が苦しんでいる」•••••そう思っている人は意外と多いのかも知れませんね。

しかし、そう思っている人はその人が迷っているのです。

迷っている人間を、更に迷わせることは易しいことです。

迷う母親を更に深い迷いの世界に引き入れたのが、この宗教団体なのでしょう。


亡くなった人を全て仏さまとして拝む。

これがお念仏の教えであります。


言葉を変えていうならば、「亡くなった人を仏さまとして拝むことができる身になる」という

ことです。

そして拝まれる仏になると生きていくのです。


南無阿弥陀仏を声に称えることで、仏さまの中に私の身を置いた人生を生きていくこと、それこそが本当の安らぎとなると思っています。


安倍元総理の命を奪って容疑者の男は何を得て、何を失ったのでしょうか。

人の生命の尊さを知らない人が容疑者の男に差し入れをしていると報道されていますがいかがなものでしょうか。被害者へではなく加害者へそのような行為をするのは何か偏見な見方がそうさせるのではないでしょうか。


もし差し入れした方、貴方の身内が安倍元総理だったとしたらどうでしょうか。

やはりあなたは差し入れをしてあげたのでしょうか。

もう一度ゆっくり考えていただきたい。

どんな理由があろうとも、他人の尊い命を奪っていい話はあり得ません、


これもまた煩悩具足である限り、自己中心の自分勝手な欲の心から離れられない限り、人間の人生は【苦】(思うようにならない)から離れられません。

その【苦】の人生を道場として、仏に成ると、この人生を生きていくのです。


仏教は、他によって【縁】生かされている人間に、他の人々のしあわせ、他の救いを願う仏に成ることを勧めています。

仏教は、全ての人が仏に成る道【仏道】を説く教えであります。


仏教の中でも浄土真宗は、阿弥陀如来の【ご本願】によりご本願のはたらき→南無阿弥陀仏を我が身にいただき、我が口に称え、南無阿弥陀仏を聞きながら浄土に生まれ仏に成るという、今を生きる仏道です。


古い時代の仏教は、特別な出家者、修行者の道、在家の者でも、特別に戒律を守って歩まなければならない厳しい(聖道門)仏道でした。

鎌倉時代に、法然聖人、親鸞聖人により『仏説無量寿経』に、阿弥陀如来の本願念仏の法が説かれ、まことの意(こころ)を正しくいただかれたことで、仏教がすべての人が歩むことができる仏道になったのです。


どんな罪を犯した者であっても、悔い改めることに目覚めることで必ず救うとはたらいていてくださるのが南無阿弥陀仏の阿弥陀如来の本願であります。


どうか罪を犯した人を責める前に、南無阿弥陀仏を口に称えられる人になってください。


親鸞聖人はご和讃に、

 【南無阿弥陀仏称えれば、十方無量の諸仏は 百重千重囲繞(いにょう)して、よろこびまもりたもうなり】と言われています。


どんな【魔】からも守られていくのが南無阿弥陀仏であります。

頼もしいものですよ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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