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学べ、知れではなく「聴け」

皆さま、こんばんは。

今日は雪を被った富士山が🗻綺麗でした。

師走に入りバタバタしてまいりましたね。

今年は早めに歳暮の手配と年賀の挨拶をしておきたいと準備しています。

今年もたくさんの方々のご指導、ご教導、叱咤激励、お支えをいただきました。

至らぬ未熟者の私を見捨てずにいてくださったことは、ただ感謝であります。


先の築地本願寺通夜布教で親鸞聖人の「夢告」についてのお取り次ぎをさせていただきましたが、浅学ゆえにきちんとしたことをお話しできずにモヤモヤしていたので、『親鸞聖人は何を求められたのか』《真城義麿著》を読みました。

親鸞聖人19歳の秋に河内磯子の聖徳太子廟に参り受けたという「人生最初の夢告」。


「我が三尊は塵沙界を化す。日域は大乗相応の地なり。諦らかに聴け諦らかに聴け我が教令を。汝の命根(みょうこん)応に十余歳なるべし。命終して速やかに清浄土に入らん。

善く信ぜよ善く信ぜよ真菩薩よ。」


以上が夢告の内容であります。


三尊とは、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩

もちろん中心は阿弥陀如来です。


塵沙界とは。汚れ、濁っている我々の生きている生き方です。


「我が教令を」とは、やはり聖徳太子というよりは阿弥陀如来の方だと思います。

すでにはたらいてくださっている阿弥陀如来如来のメッセージを諦らかに聴け!と、おっしゃっているのですね。


「汝の命根応に十余歳なるべし」

お前の寿命が、あと十年と考えなさいということ。「そのうち」ということはダメですよということです。

三帰依文の「この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん」

今聴け!

迷うことはない、お前の顔は浄土へ向け!

親鸞聖人は、この夢告をそのままに自らの生き方に照らして生きていかれたのではないのでしょうか。


誰でも先の見えないことは不安です。

私自身、あてにならない未来予想図を設定することが大の苦手であります。

🅾️型気質なので、なるようになるさ〜、な人であります。


ただ、きちんと知らされているのは「聴け」なのです。

今日とも明日とも知れない命を生きながら、仏法聴聞より優先させるべきことがある生き方くらい危なっかしいことはないと思います。

特にまだ、称名念仏すらできていないのに、浄土真宗の学習ばかりを優先させている方々は危険であります。

阿弥陀如来が勧める道は「即得往生」です。


しかしながら親鸞聖人は、「化土往生少なからず、報土往生多からず」と、指摘してくださっています。

もちろん超法寺は、皆さまに「報土往生」を勧めるためにあります。

そのためにはやはり日頃からの仏法聴聞を欠かしてはならないと考えます。


確かに時代的にリモートやYouTubeですることもしないよりは大切ですが、やはり私はご講師の息遣いを感じながら、温もりを感じながらが一番、この身に入り込んでくださいます。


是非、おかげさまにて緊急事態宣言が解除された今だからこそ、お寺でお聴聞する機会を持つようにお願いします。


蓮如上人は、仏法聴聞すべし。仏法は暇をかぶりて聴聞すべし、と言われていますよ。

「暇があったら」の人は一生聴けません。


「暇を作って」聴聞せよ、とおっしゃっていますよ。

お寺までの足がなければ、末田がお迎えに参りますよ!

聞かずに去ったら勿体ないですよ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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