亡き人は今ここにいる
- 超法寺の住職

- 4 日前
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更新日:5 時間前
『浄土和讃』
安楽浄土にいたるひと
五濁悪世にかへりては
釈迦牟尼仏のごとくにて
利益衆生はきはもなし
阿弥陀如来の本願力によって、その世界である安楽浄土に往生して仏陀となった人は、やがてまたこの五濁の世に還って来て、苦悩にあえいでいる人々を救おうとはたらいていてくださいます。それはちょうど釈尊(釈尊牟尼仏)のように、人々を導き救ってくださること果てしないのです。
どうぞ何度も何度も何度も何度も読んでいただきたいですね。
高市総理じゃないですが気の遠くなるほどの時間、仏は私たちに真実への目覚めを願っておられるのですが、当人(煩悩具足凡夫たる人間)にその自覚がないと言ったら、それこそが果てしないのであります。
阿弥陀如来の本願力は自覚しない煩悩具足の凡夫たる私たちとのせめぎ合いであります。
往生の道を勧めて、勧めて、勧めても忘却するばかりに明け暮れるのですから、仏のご苦労は半端ないのではないでしょうか。
阿弥陀如来は「仏にしてやりたい。浄土に生まれさせたい」という願いで仕上がっておられます。
五濁悪世とは、戦争などの社会悪がはびこり、邪(よこしま)な考えが横行し、貪りや瞋恚(怒り)、愚かさなどの醜い欲望が燃えさかると言った汚れ濁った世の中の相(すがた)を五つに数えたもので、私たちが生きているこの世の有り様を言うのです。
このように五濁悪世の現実に一刻も早く気づいて、その世界に生きてる私たちを救うためにはたらいていてくださる阿弥陀如来の本願を信じて悟りの道を歩むように勧めていてくださっているのです。俺が俺が、私が私がと自分だけは正しくて他人が間違っていると裁き、責めながらでしか生きられない愚かさに気づかせようとはたらく仏の邪魔をしないように生きていきたいものです。
自分だけが、自分の国さえ平和ならそれでいいと言う愚かな考え方を改めていけるようにしたいものです。
だってみんなつながっているんだから。
それを忘れずに阿弥陀如来を仰いで南無阿弥陀仏を称えながら生きていこうではありませんか。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
おやすみなさいませ。




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