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一人きげんで元気に生きよ

梟(ふくろう)の一人きげんや秋の暮

           [小林一茶]


「一人きげん」とは、「ご機嫌であっても不機嫌であっても」ということです。

フクロウという鳥は、機嫌が良くても悪くても何ら変わらない。それが一人孤独であっても何にも気にしていないように見える。


しかし私たち人間は、常に他人の目ばかり気にして生きていないだろうか。

相手の気持ちを何も考えずに誹謗中傷をSNSに発信していないだろうか。

思ったことことをそのままインスタやX、Facebookに投稿しているのを拝見しますが、なかなか毒々しいので見させられている者からするとかなり不愉快な気分になっていることを考えたことがあるのだろうか。


昔からオブラートに包んでというが、そもそもオブラートの意味すらわかっていない気がする。だから他人を傷つけていても正論を盾にしている気がする。

「これを見た人がどう思うだろうか」

そんなことを考えることは大切ではないだろうか。他人の目を気にすることと、他人を知らず知らずのうちに傷つけていることに無頓着なのは違う気がします。


だからといって他人の目ばかり気にしてる生きづらくなっている人は、このフクロウのような「一人きげん」という感覚を身につけて欲しいです。小林一茶さんのこのうたは、心身ともに健全に生きて欲しいという願いが込められているように私は感じました。


しかしながらSNSで高市政権絡みの偏見や、野党第一党に対する厳しい批判をやたらと目にして心な痛みます。逆にあれだけ大騒ぎしていた参政党支持の投稿はパタっと見られなくなったのは日本人特有の熱しやすく冷めやすい気質だろうか。


もしそうであるならば、高市政権がこのように支持している有権者たちの期待に応えられなくなった時は•••途端にひっくり返ることになりはしないだろうか。よく考えて欲しい。そんなに簡単に物事は変わらないということを。


会社だってすぐには変わらないのと同じで国家レベルでは何年、何十年かかるもの。それなのにすぐを求めすぎてはいないだろうか。

私がなかなか変われないのに、他人にはすぐを求める

他人を責めて生きるのはどうでしょうか。

だって皆さまは他人から批判されて嬉しいでしょうか。違いますよね、嫌ですよね。

だったらネットを通して、これを読む人がどう思うだろうかな、なんて考えながら投稿したいものですね。


小林一茶さんは念仏者であったと言われています。フクロウというものを通して我が身を振り返ってみませんか。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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