『バガボンド』沢庵和尚の話
- 超法寺の住職

- 1 日前
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今年のプロ野球ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから一巡目指名を受け仮契約をした花園大学の藤原聡大さん、卒業生の一人として大変嬉しいことです。
花園大学は臨済宗妙心寺派の大学です。
同じ禅宗の駒澤大学とは知名度が格段に違います。もちろん大学の規模も雲泥の差です。
駒澤大学は曹洞宗の大学です。
臨済宗と言えば、とんちの一休禅師、そして沢庵和尚が超有名ですね。沢庵和尚はその名の通り、「たくあん」を考案されました。
『スラムダンク』の作者として有名な井上雄彦さんの『バガボンド』に、主人公宮本武蔵を導く僧侶として登場しています。
ただ沢庵和尚は、作中とじっさいのすがたにはかなりの違いがあったようですね。
先ず始めに「たくあん」、今でも日本の食卓に欠かせないお漬物の代表格であります。
逸話を紹介します。
江戸時代、三代将軍徳川家光は、「近頃、何を食べても美味く感じない。何か美味しいものが欲しい」と、沢庵和尚に頼みました。
沢庵は家光に翌日の午前十時にお寺に来るように言いました。
家光は言われた通りにお寺に行きましたが、沢庵和尚は待てど暮らせど現れません。
いい加減に腹が減って目が回りそうになる家光の前に、沢庵和尚は待ち侘びていた御膳を差し出しました。
御膳にはご飯と黄色い漬物が二切れ。
とても質素ですが、腹が減ってたまらない家光の箸は止まりませんでした。
「和尚、この黄色い食べ物は何だ」
「これは大根の糠漬けでございます」
家光は、「これは美味い」と大層喜ばれました。
しかし将軍さまが腹が減って倒れそうになっているのを待ちぼうけさせ、あまりにも恐れ多いことではないでしょうか。
しかしそれを上回るほどの感激が家光にはあったのでしょう。
美味しいものを食べたいという願いを沢庵和尚は見事に叶えたのです。
口が贅沢になって美味しいものを美味しいと思えなくなっていた家光に和尚は、「今後は空腹を待ってから食事されるとよろしいかと」と戒められました。
感銘を受けた家光は、差し出された黄色い大根を「たくあん漬」と名づけ大変気に入りました。今も品川にある臨済宗のお寺「東海寺」は、家光公が沢庵和尚のために創建されたお寺です。そのお寺で考案したのが「たくあん漬」です。それが次第に江戸中に広まり日本各地に広まったのです。
皆さまはご存知でしたか。
それではもう少し沢庵和尚についてご紹介します。
『バガボンド』での沢庵和尚について、宮本武蔵は剣の修行に「禅の修行」を取り入れ、呼吸法なども取り入れていました。
それは沢庵の『剣禅一如』のイメージに一致するため、師匠のように描かれているのではないでしょうか。
『剣禅一如」とは、「剣の道も、禅の道も、あらゆる雑念がなくなり、心が澄み切っている状態が境地」という考えです。
この教えは、『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』に記されています。
沢庵和尚は、仏教的センスを持ち話も上手く、禅の教えを身近なものに例えながらわかりやすく人々に教示しました。人柄も魅力的で、沢庵和尚の周りにはたくさんの人々が、集まりました。中には大名や貴族などの権力者も多くいましたが、「あくまで自らはいち禅僧にすぎない」と地位や名声を求めることはありませんでした。そればかりか、自分の寺を持つこともせず、野僧として全国を放浪し貧しい人々を救い、時の権力者から庶民に至るまで多くの人々から愛されました。
まるで親鸞聖人や一遍さんのようですね。
「寺や屋敷を与える」という徳川家光の申し出を拒み続けていましたが、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の説得を受け入れ1638年、沢庵65歳の時に、家光が建立した東海寺の開山になりました。
これを機に野僧としての生き方を捨ててしまった自分自身を「権力者に媚びるつなぎ猿だ」と軽蔑し、嘲笑う晩年を送ることになりました、ら
1645年、75歳で亡くなりました。
沢庵和尚は弟子たちに請われ仕方なく遺訓を残されました。
『夢』
百年三萬六千日
弥勒観音幾是非(みろくかんのんいくぜひ)
是亦夢非亦夢 (ぜもまたゆめ、かんのんも
またゆめ)
弥勒夢観音亦夢(みろくもゆめ、かんのんも
またゆめ)
伝云応作如是観(ほとけいわくおうさにょぜかんか)
「是も非も弥勒も観音も全て夢に過ぎない、すべて無である」
そう言い残し息を引き取ったと言われます。
沢庵和尚は遺言として「葬儀はするな」「死骸は山に埋め、参ってはならない」「墓を作ってはならない」「位牌も作ってはならない」「法事はしてはならない」「朝廷が名誉な位を授けようとしても受けてはならない」と残されました。
修行の日々と、苦しむ人々を救うために全てを費やしてきた自分さえ『無』にしようとされた沢庵和尚。
彼が考案された「たくあん漬」を口にする度に思い出したいものですね。
親鸞聖人の生き方に通じるものがあるように感じました。明日で親鸞聖人報恩講が満座となります。仏法聴聞をする生き方を大切にしながら南無阿弥陀仏を称えながら、全てのものへの感謝を忘れないそんな生き方をしていきたいと改めて思いました。
長文すみません、すみません。
南無阿弥陀仏




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