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カミカミ(落ち込んだ)

皆さま、こんにちは。今日は暖かで快晴ですね。

おかげさまであります。

今日から築地本願寺常例布教への出向させていただいています。

一発目の午後の法話は、導入でしくじってしまい空回りしてしまいました。

お恥ずかしいことです。

急遽(急遽にやると失敗するというのに)、ご讃題を変更してしまったのが仇になってしまいました。うーん、自己嫌悪です。


「煩悩具足と信知して、本願力に乗ずれば、すなはち穢身すてはてて、法性常楽証せしむ」(高僧和讃 善導讃)


人は、自分の力を頼りにして、心を静める修行をして、浄土を見つめようとする場合があります。(定善)

また、散乱した心ながらも善を修める

ことによって浄土を求める場合があります。(散善)

さらに五逆、十悪という悪行を犯す場合もあります。

しかし、どのような場合でも、どのような人でも、阿弥陀さまの智慧の光明の輝きが、それらの人々にとって、「真実の信心」に目覚める「縁」となって阿弥陀仏の大慈大悲によって、誰にも優しく差し向けられている。


全ては、阿弥陀さまのおはたらきひとつであるんだということをお伝えしたかったのに、自分ではうまく伝えられなかったようでした。難しいですね。

夜座では、改めて一生懸命に頑張ってみます。


ではまた。ナンマンダブツ

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不断煩悩得涅槃

人間たる者は、日々の生活の中で 煩悩から逃れることは非常に難しいというか、 死ぬまで苦しみ続けるものです。 かの一休禅師も最後の言葉は「死にとうない、ほんまじゃ」であったと言われるほどです。私たちのように日々、仕事に趣味を持ち、家族を持つものにどうやって修行をし、それを成し遂げることなどできるのでしょう。無理です。 煩悩を克服できない者は死んでも悟りの境地に至ることなどないのです。 三毒の煩悩 貪

 
 
 

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