まことの大人になる道
- 超法寺の住職

- 4 日前
- 読了時間: 2分
『正像末和讃』
浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし
成人は今では18歳になりましたが私のような昭和世代にはやはり成人というと二十歳をもってとするイメージです。
では大人になるとはどういうことでしょうか。
オルポートというアメリカの心理学者は、大人の条件として、肉体が大人になる、心が大人になることを提言されておられます。
そして、肉体は誰でも自然に大人になるのに対して、心は必ずしも肉体の成熟と一致して自然に大人になるわけではないことを明らかにされました。
そうなると本当の意味で大人になるということは、心が大人になることです。
心が大人になるとはどういうことでしょうか。
①理想的な対象や価値を求める
②自分を客観的に見て反省する
③人生に対する統一した考えを持つ
という三つの基準で判断できる。
では浄土真宗のみ教えからは心の基準はやはり親鸞聖人に学ぶのが大切ではないかと思います。
それがこのご和讃から学べるのではないでしょうか。
「阿弥陀如来の本願を信じ、浄土に往生するという真実の教えに帰依している身ではありますが、真実の心は少しもなく、嘘や偽りに満ち満ちているのが誰でもないこの私であります。ですから清浄の心などさらになくお恥ずかしいことです」
このご和讃は、ひたすら真実を求められ、ついに阿弥陀如来の本願に出遇われて、90年の生涯を南無阿弥陀仏の光を仰いで生き抜かれた親鸞聖人の心の内が、ありのままに語られています。
まことの大人になるということは、人間の枠をも超えた究極の目的において生き抜かれたのですから、そこには、より高く、より深い成熟への歩みが生涯をかけて続いていかれたのです。
まことの大人になるということは、ただ単に年齢を重ねるということではなく、南無阿弥陀仏に照らされて仏様にならせていただくのだという思いを常に持ちながら、相手を敬愛し生きていきたいものですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




コメント