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あの子のおかげでした

私たちはお互いに死にゆく人生を生きています。それは頭ではわかっていても心ではわかっていないし、わかりたいとも思いません。

悲しいけどそれが現実です。


大切な人であればあるほど、その思いは尽きることはありません。

また人間は無いものねだりでありますから、有るものには執着して、無いものは欲しがるという生き方であります。


例えば私はバツイチですので奥さんがいません。だからいる人が常に羨ましいんですね。また人間の子どももいませんので、子どもを持つ人が羨ましいんです。そして持病もありますので元気に暮らす人がやはり羨ましかったりするのです。


大きなお寺に住んでいるお寺さんが羨ましかったり、懐に余裕がある人が羨ましかったり、日々法務[葬儀、布教、お参り]があり断っているほどだなんて聞くと憤ったりします。

まさに無いものねだりであります。


人間の欲望は尽きる事がありません。

違う角度で見れましたら楽になることも多々あります。奥さんがいないから夫婦喧嘩をして悩むこともなく、離婚することもありません。

子どもを持たないからこそ、我が子が病気で苦しむ姿を見なくてもいいし、我が子に先立たれる苦悩を抱えなくてもいいのです。


あのお釈迦さまが、我が子が生まれたと聞いた時に嘆き悲しんだと伝わっています。お釈迦さまも人間ですから、もちろん我が子が生まれて嬉しくないはずがありません。

ではなぜでしょうか、それは我が子が死ぬ姿を見るかも知れないと思ったら悲しかったのでしょうか。

私たちは皆生まれて五体満足に平均寿命まで生きられる保証はありません。


この夏も数多くの事故で若くして亡くなっていかれた子どもさんをニュースで拝見しました。

どれほどの親御さんが、ご家族が悲しまれたのでしょうか。それなのに「それは無常だからしかたがない」などと言えるわけはありません。

「お浄土へ生まれて仏さまになられました」、そのような言葉も容易に使えません。

これは仏法を聴聞し、南無阿弥陀仏とお念仏の日暮らしをしておられる方にのみお話しできるものではないでしょうか。


私も数十年昔に通夜葬のご縁に遇わせていただいた方がありました。この方は母子二人で暮らしておられました。子どもさんは日頃からバイクが好きで純粋に運転することを生き甲斐のように思われていたそうです。

またお母さんが自分のために朝から晩まで働いて育ててくれていることに感謝してバイクは自分でアルバイトをして買ったそうです。


ある時に、「お母さん、僕も学校を卒業して明日から社会人になって頑張って働くよ。今までお母さんには苦労ばかりかけて心配もさせてしまったね。バイクは大好きだけどバイクは今日で最後にするから、今日だけバイクに乗るのを許してね」と、笑顔で出て行きました。

しばらくして警察から電話があり、「子どもさんが事故に遭われました。病院まで来てください」と。子どもさんが家を出て10分も経たないというのに。


子どもさんは、信号無視の暴走自動車にぶつけられて亡くなられたそうです。

そのお通夜の場へ私は参らせていただきました。まだ若かった私にはその場はあまりに相応しくない。憔悴しきったお母さんの姿は今でも忘れられません。

無常、無常と聞いていた無常はここなありましたと号泣されたお母さまでした。

優しい笑顔で微笑む子どもさんの遺影。


たくさんの参列者でした。皆泣き崩れていました。仲間たち、先生や父兄。

「どうしてこんなことに」、「どうして、どうして•••••」

「お寺さん、うちの子は何か悪いことをしたのでしょうか。最後に少しだけ乗らせてよ、大丈夫危ない運転はしないから」と言って出て行った子どもさん。


また会場の隅には加害者でしょうか、弁護士さんに付き添われてうつむいておられました。

まさか、まさかと思っていたのかも知れませんね。

我が子がいない私に同じ気持ちになることなどできません。このようなことが実は日本だけではなく世界中で日常茶飯事であるのです。


私は「お母さま、子どもさんはお浄土へ阿弥陀さまに救われて仏さまになっていかれましたよ。私は情けないですがどうしてあげることもできません。しかしながらこちらにおられます阿弥陀如来さまは、その苦悩が全部おわかりです。まかせよ救うの仏さまがこちらにいらっしゃっています。どうして•••から出られないでしょうが是非お寺へ参って子どもさんが身をかけて無常を知らせてくださいました。そしてお釈迦さまも倶会一処(くえいっしょ)のサヨナラしない世界をお説きくださいます。お聞かせいただければ、きっと阿弥陀さまはお母さまの問いに答えてくださるはずですよ。」


これだけお声がけをさせていただきました。

その上で、和泉式部さんの詠をご紹介しました。和泉式部さんも、たった一人の娘さんを突然亡くさられて失意の中、仏法に出遇ってようやく落ち着かれたそうです。

その気持ちをさりながら、あだにはかなき世を知れと、教えて帰る子は知識なりと詠まれています。


厳しくても悲しくても、辛くても嫌だと言っても、この世の縁が尽きたならば命終わっていかねばなりません。もちろんこの私もです。


その後お母さまは、息子のためにとお寺へ足を運ぶようになり、息子が私を心配して来ていてくださるとまたお寺へお参りして、いつもご講師の目の前に座っている、そんな姿が懐かしいですね。もう千葉を離れて久しいので、その後お母さまはどうされているのかはわかりませんが、ご存命なら今も笑顔でお寺参りをしてくださっていることでしょう。


この世の会える縁は無くとも、南無阿弥陀仏を我が身にいただいているならばまた必ずお遇いすることができますからね。


親鸞聖人はご和讃に、

南無阿弥陀仏となふれば、十方無量の諸仏は、百重千重囲繞して、よろこびまもりたまふなり

と、讃嘆されておられます。


南無阿弥陀仏の声の中にいつもご一緒くださるのです。お念仏に遇うということは、大きな喜びの世界をいただくということです。

南無阿弥陀仏は、「何も言わなくてもいいよ、この親だけはわかっているよ」と全てを見抜き、悲しみの涙を流して喚び続けてくださっています。これは阿弥陀さまの喚び声なのです。


そこには大悲の温かな心の温もりがあります。

この温もりに遇い、我が身にいただくことで初めて、悲しみを悲しみと受け止めながら、それを誤魔化して生きていくのでは無く、それを超えて生きていくのです。

そこには悲しみの涙を流して別れた人に対しても、「あなたのおかげでした、また遇う日を楽しみにしていますよ」と言える世界が開かれてくるのです。


甲斐和里子さんは、御仏を よぶわがこゑは 御仏の われをよびます御声なりけりと詠まれています。


南無阿弥陀仏の六字には、この私に気づいてくれよという阿弥陀如来の願い、私たちに念仏申させたいという阿弥陀さまのお心、お念仏を称えさせていただくところには、摂め取らずにはおかれないという阿弥陀さまの願いに叶ったはたらきがあるのを忘れてはなりません。


南無阿弥陀仏とお念仏を称えるなかに、仏さまにならせていただくんだ、という思いを常に持ちながら生きて行きたいものです。

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