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THE DAILY CREED OF JODO SHINSHU

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

浄土真宗の生活信条

1、み仏の誓いを信じ 尊いみ名を称えつつ 強く明るく生きぬきます

  I take refuge in the Vow of the Buddha,saying His Sacred Name I will live

through life with strength and serenity,


2、み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます

  I adore the Light of the Buddha,I will put my effort in my work with self-reflect

ion and gratitude,


3, み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめます

  I follow the Teaching of the Dharma,discerning the Right Path,I will spread

the True Dharma,


4, み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽くします

 I rejoice in the Compassion of the Buddha,I will respect and help others and do

my best for the welfare of mankind,



人が普通に願い求めるような「我欲」を満たすことではなく、人間そのものの根元的苦悩からの解放を意味する。

世間の喜怒哀楽における喜びは、相対的な喜びであり、限りある喜びであって、所詮、はかない喜びに過ぎない。

これに対して、阿弥陀仏の法に値いえた喜びは、満ちたりた喜びであり、真に安らかな喜びであって、いかなる逆境にあっても変わることのない究極の喜びである。

これによって、一切の迷信俗信に惑わされることなく、どのような苦難に会おうとも、それを乗り越えて生きてゆく力が恵まれる。お念仏はその満ちたりた喜びを感謝する声であり、また、仏の慈悲に包まれたわが身を省みる慚愧の声でもあるのです。


このようにして、お念仏の人生は、安らかな喜びの中にあって、現実の自己の生活を少しでもうるわしくあらしめたいと願い、また世のすべての人たちのしあわせを念じて、自他共々に安らかな生活が恵まれるようにと、努力する生き方が展開する。

そして、そのように精一杯生きてゆくままがお浄土への道中であり、仏の力に抱きとられた日々である。

この法こそ、私どもに与えられた唯一真実の救いの道であると、親鸞聖人はお示しくださるのです。


『歎異抄』に、

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつこころのおこらんとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり。


とあります。仏の慈悲を知らされていただいたとき、もはや仏の救いの力の中におさめとられる。これを現生正定聚とも現生不退ともいう。

現生というのですから死後の話ではありません。

正定聚とは、まさしく仏になるに定まった聚類(なかま)ということです。

不退とは、二度と再び迷界に退転しないということです。


◎浄土真宗の生活は、救っていてくださる仏さまへの感謝の声を常に称えながら

 日々、生活を送るのです。南無阿弥陀仏と声にして阿弥陀さまへ御礼するのです。


報恩の念仏とこころうべきなり、であります。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ

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