大混雑
- 超法寺の住職

- 2024年3月4日
- 読了時間: 3分
皆さま、こんばんは。
3月は人の移動が多い時期なのでしょうかね。
市役所はこんなに人がいたのかと思うほどたくさんの人が来ていました。
増減数は最近はいつ見ても➖100人です。
入間市から出ていかないで!そう思いました。
手続きを済ませるのに二時間以上も掛かりました。疲労度マックス。
急激に体力の無さと腰痛が出てきました。
マイナンバーの暗証番号って皆さまは覚えていますか。
私はまた記憶違いをして再設定しました。
人間って1日で79%も忘れて生きているそうですよ。
アナログ頭の私はこういうことはすぐ忘れていますよ。
歳を重ねていくって辛いものですよね。
『仏説無量寿経』には、
人間ほど浅はかなものはない。いずれも急がなくても良いことを急ぎ、
争わなくても良いことを争っている。この激しい悪と苦の渦の中に、あくせくとし
て勤めはたらき、それによってやっと生計を保っているのである。
と、説かれています。
また、田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。牛馬などの家畜類や、金銭・財産・衣食・家財道具、さては使用人にいたるまで、あればあるにつけて憂いは尽きない。
また、田がなければ田を欲しいと悩み、家がなければ家を欲しいと悩む。
牛馬などの家畜類や、金銭・財産・衣食・家財道具、さては使用人にいたるまで、なければないにつけて、またそれらを欲しいと思い悩む。
たまたま、ひちつが得られると他のひとつが欠け、これがあればあれがないというありさまで、つまりは、すべtrを取り揃えたいと思う。そうして、やっとこれらのものが皆揃ったと思っても、それはほんの束の間で、すぐにまた消え失せてしまう。
人は、この世の愛欲のきずなにつながれて生きているが、突き詰めてみると、独り生まれ、独り死に、独り来て、独りゆくのである。すなわち、人それぞれの行いによって、菩薩の境界に住む身になるのであって、すべては自分自身がその責任を負わねばならない。誰も、これに代わることはできないのである。
どうして人々は、世間の雑事を振り捨てて、各自が健やかなあいだに、努めて善を励み、ひとえに浄土に往生するこちを願わないのであろうか。
そうすれば、とこしえに尽きない命が恵まれるのであろうに、なぜ、道を求めないのだろうか。何を期待して生きているのだろうか。
一体、どういう楽しみを欲しているのだろうか。
※お経にはこのようなことが説かれています。要は故人のためではなく、故人が縁を持たねば「法」を聞くことすらない私たちに故人は身をもって法を語っているのでしょう。【今現在説法】であります。
いつになれば真剣に法を求め、道を求めるのだろうか。
それをお経は私に問うているのです。真実を求めよと。
慌ただしさに振り回されて生きることは虚しいものですね。
真実を南無阿弥陀仏の声に込めて喚び続けてくださいます。
気づこう、阿弥陀さまの願いに。
気づこう、親の親心に。
学ぶ必要はないですよ。だってもう完成されてあるのだから。
ただ、南無阿弥陀仏を声に称えて生きていくだけであります。
それだけで準備完了であります。
後は疑わず、素直に我が身にいただくのです。
いただけたら我が声となって口から出てくださいます。
お念仏が口から声となって出てくれますか?
まだ素直になれずに頑張ろうとしているのですか?
それはもういいよ。まかせよ、救う。
阿弥陀さまがそのままはたらいていてくださいますぞ。
南無阿弥陀仏




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