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執筆者の写真超法寺の住職

妙好人の世界【おその】3

皆さま、こんばんは。

先程、ブログ更新したのですがアップされていませんでした。

長文がアップされないのはショックラージです。

しかしながら、改めてブログにて皆さまにお伝えしたいことがあるので、

頑張って書きます。


おそのさんワールドの続きです。


本山から派遣された僧侶が説教を行った時の話


「仏願の生起本末(しょうきほんまつ)を聞きて、疑心あることなし。

『教行信証』に述べられていますが、これが真実の信です。

疑いを晴らすことが第一。疑いが晴れなければ本物の信ではありません。」僧侶は疑いを晴らすことを繰り返し、繰り返し厳しく言われました。

お聴聞されていた人は、その厳しさに萎縮してしまい本堂は静まり返ったのでした。


そると、じっと説教を聞いていたおそのさんは、ふいに踊り出すように両手を広げて大きく振りながら大声ではやしたてたのです。

『雲らばくもれ、晴れたとて、花の浄土は見えやせまい。みんな、そこらじゃ、そこらじゃ』


それを聞いた僧侶は度肝を抜かれて一言も発することができずに、ただおそのさんを見守ることしかできませんでした。

疑心を晴らすことにこだわる僧侶の説教は、お聴聞されている者に、阿弥陀如来の救済に条件があると誤解させかねないものだっただろう。


どうか間違えないでほしい。

どうか心を開いて阿弥陀如来の救済を受け入れてほしい。


おそのさんは、

ど問う人の境遇に合わせて共感を込めて、

お差し支えなし、ご注文なし・・・・・を伝えていたのです。


【嬉しいことに阿弥陀如来は、この世が好きで往生もことが嫌いな者を一番に好いてくださる。それが有り難くて、毎日仏法の話をしておりますのじゃ】


おそのさんは嘉永6年(1853)4月4日、78歳で静かに往生されました。


生前、おそのさんの病床を見舞った同行(どうぎょう)に、お領解(りょうげ)を聞かせてほしいと頼まれ、このように答えておられます。


【私には領解はなんにもない。一生の間、ただ無駄骨を折っただけじゃわいのう】

といわれたそうです。

これこそが、阿弥陀如来にすべてをおまかせして生き抜かれた方の境地ではないのでしょうか。まだ私には到底辿り着けてはいないものです。


ナンマンダブツ

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