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執筆者の写真超法寺の住職

仏教讃歌を味わう

近年は家族葬、火葬式が主流となりました。

しかしながら浄土真宗では、本来は通夜を大切にしてきました。

なぜならば浄土真宗では、故人の死を仏縁として大切にしています。

人の死は世の無常を知るとても大切な場だからです。

その中で、超法寺では通夜の法話に引き続き必ず仏教讃歌を歌います。

以前とある通夜の場でのこと。

通夜を終え控室で着替えていると部屋を訪ねてきた方がありました。

「私はクリスチャンで、今まで浄土真宗のことは全く知りませんでした。法話も意味がわからなかったのです。しかしその後にご住職が歌われた歌を聞いて、あ〜、そういう教えなんだ。あまりに新鮮で嬉しかったので、失礼を承知で部屋を訪ねました。ご存知の通り、キリスト教では讃美歌を歌います。仏教でも歌で伝道することがあるのですね。ありがとうございました。」と、言われました。


わからないから法話をしないとか、来ている人は浄土真宗の方だけではないから、極力、阿弥陀如来の話やお念仏の話はしません、とか言われるお寺さんがおられますが、私はそうではないと確信しています。

伝えることは確かに難しいかも知れませんが、伝わっていく•••ことはある、と大切にしています。

私が救うんじゃないのだから。

阿弥陀如来のはたらきが南無阿弥陀仏のよび声となり、今ここに届いてくださっているのですから。


ちなみに私がお通夜に歌うのは、

「み仏にいだかれて」です。

み仏にいだかれて きみ往きぬ西の岸

なつかしきおもかげも 消えはてし悲しさよ


み仏にいだかれて きみ往きぬ慈悲の国

み救いを身にかけて しめしますかしこさよ


み仏にいだかれて きみ往きぬ花の里

つきせざるたのしみに 笑みたもううれしさよ


み仏にいだかれて きみ往きぬ宝(たま)の家

美しきみ仏と なりましし尊さよ



※素晴らしいですよね。亡き人の往き先をきちんと私たちにお示しくださいます。

思わず手を合わせて南無阿弥陀仏、なんまんだぶつと涙と一緒に声に出てくださいます。


是非、お通夜の場の大切さをご理解いただけたら嬉しいです。

また以前、あるお通夜の場で喪主のご長男が、「あの父がこれほど多くの方々とお付き合いをしていて、私の知らない姿があったことに驚きました。やはりご住職が言われたようにお通夜の場が大切だということを認識しました。有難うございました。」と言われたことがありました。


小さな葬儀を勧めるコマーシャルがありますが、私は決して意味がないとは思いません。

親は子どもたちの負担を気にかけて、気を遣ってそう仰っているだけです。

私の歳ほど、我が子のために生きてくださった方であります。私の知らない我が親の姿を見ることができる貴重な貴重な仏縁の場です。

可能ならば是非、お通夜をしてみても良いのではないかと超法寺は思いますよ。


南無阿弥陀仏


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