亡き人が喜ぶことって

更新日:8月31日

皆さま、こんにちは。

すっかり夏らしさが遠のき初秋の装いになりました。台風の影響はこんなところにも見受けられますね。すべて繋がっているのですね。

どんどん移り変わってあっという間に年末を迎えてしまうのでしょうね。

是非、自身がなすべきことは早めにしておきたいものだと自分に言い聞かせながら怠っている恥ずかしさがあります。


さてCMで「お母さんが好きだったことをしてあげたい」というものを拝見しますが、どうにも私は納得できません。それならば生前にしてあげてそれで十分だと思います。

亡くなってからでは間に合わない気がします。

私は自分が親をみ送ってそれを感じています。

余計なことかも知れませんのでCMを批判するつもりはございませんので。


では大切な故人さまは遺した私たちに一体何を問いかけ、何を願っているのかを皆さまはちゃんとご理解、実践されておられますか?


私たち人間は、仏教では【迷い🟰凡夫】と言われます。

これは【死ぬまで煩悩から離れられないもの】という意味です。

ただ、それでは死んだら煩悩から離れられるというかと言いますとそんなに甘くはありません。


煩悩を克服🟰さとり

これが必要であります。

なかなか克服することは難中の難であります。


男性で250戒めがあり、女性は350もの戒めを克服する必要があります。

その中でも5つは最低限守りなさいとお釈迦さまはおっしゃっています。


【嘘をつかない】、【命を奪わない(殺さない)】、【盗まない】、【男女の問題を犯さない(不倫等)】、【お酒を飲まない(飲酒)】


さあできますか?できるという人はきっと根っからの嘘つきではないでしょうか。

人間という病を抱える私たちには「さとり」などできるものではない。


ある高僧が遺言で弟子に語った最後の言葉は「死にとうない」、「ほんまじゃ」

これが本音であります。

死にたく人が死んでいかねばならないのが私たちであります。


実際、自分の欲求を叶えるために尊い命を奪った死刑囚は自分が死刑執行される際に「死にたくない」と叫ぶと言います。

被害者から「助けて」、「殺さないで」と懇願されたはずなのにです。

悲しいかな、これが人間の本性です。


これをすべてご理解いただいた上で、阿弥陀如来という仏さまは成仏されておいでです。

親鸞聖人は、《弥陀成仏のこのかたは 今に十劫(じっこう)へたまえり 法身の光輪きわもなく 世(せ)の盲冥(もうみょう)をてらすなり》【浄土和讃】


私たち浄土真宗のみおしえに遇うお互いは、ご先祖さまからここを知ってくれよ、と願われているのです。地獄行き[自業苦]の生き方しかできない私を既にお見抜きくださり、そのようなあなただから私は救いたい、仏にしたいと願われ二度と苦悩の命にはしないよ、と南無阿弥陀仏(ナンマンダブツ)と喚び続けてくださっているのです。


ですから、私たちが毎年のように勤めているご法事は亡き人のためにと思っていたのに、実は亡き人から「早く私を縁に南無阿弥陀仏を称えてお浄土に生まれるあなたになってくれよ」と願われているのです。


サヨナラは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでも遠い約束「セーラー服と機関銃」(歌/薬師丸ひろ子)

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南無阿弥陀仏をお称えすれば必ずまた大切なあの人に逢えますよ。

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【倶会一処(くえいっしょ)】と言います。


これこそが亡き人が一番してもらって喜んでくださることではないかと私は思っています。


現に私の亡き母は常々、「お兄ちゃん、お念仏よ」といつも笑顔で言っていました。

私が不細工な言葉で「まんまんだふ」と言ったら満面の笑みで「あ〜、お兄ちゃんがお念仏言ってくれたぁ、お母さん嬉しい!」と言ってくれたのが懐かしいですね。

未だにあの時の母の笑顔は忘れませんよ。


我が母は最高の善知識でありました。


きっと皆さまの先立たれた方々もこれを願っておられると私は思いますよ。

まだお念仏が口から出てこない方は、一日も早くナンマンダブツを言える人になりましょう。


これこそが人間に生まれ、今生きている大切な意味であります。まだ間に合いますぞ。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏



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