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延覺寺布教

更新日:5月21日

皆さま、こんにちは。

19日は千葉県佐倉市の延覺寺さまの常例法座へ出向させていただきました。

30年過ごした実家寺でお世話になった千葉組(そ)寺院へ布教にこさせていただけたのは実に有難い思いでありました。

今回実は初めてお寺に行ったのでした。意外な感じでした。


古いお寺でもあり多くの聴聞者がお参りくださいました。

今やお聴聞がどこも少なくなった昨今ですから嬉しい思いでした。

平日の方がいいのかなって思いました。うちも平日に法話会をやったらお参りが増えるかな。


この度は「仏は助ける、私は助かる」をテーマにお取り継ぎしました。

浄土真宗のみ教えは、他力本願であります。

わかっているようであまりわかっていないのです。

浄土真宗だからとか、念仏往生だからいいとか、どうなのでしょうか。

阿弥陀如来は浄土真宗の人をお救いになられる仏さまではありません。

念仏往生は、疑いなくまかせた姿が南無阿弥陀仏の声となって表れたものです。

手を合わせなくてはお念仏がでないのは自力念仏ですから、これでは救いには遇えません。もちろん称えられることは誰でもはできませんが、阿弥陀如来のお心にはかないません。


死ぬまで煩悩から離れられない凡夫たる私は、自分では往生できません。

ですから阿弥陀如来のご本願によってお救いいただくのです。

これを間違えると、お念仏を称えて「お救いください」となってしまうのです。

✖️助けてください


○有難うございます


これが理解できるかどうかです。

親鸞聖人の生き抜かれた道は、どこどこまでもあなたまかせでありました。

常に我が口に南無阿弥陀仏を声にして生きて行くのです。

俺らの本堂や、家のお仏壇、お墓の前で、手を合わせないとお念仏が出てこないのは自力であります。お念仏を道具のように扱ってはなりません。


聞こえたまま、そのまま受け止めて行くのです。

私の思いが込められると自力になってしまいます。

まかせよ、救う。

これで全てが整うのです。


南無阿弥陀仏にまかせていくのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

手を合わせずとも口にお念仏して生きていきましょう。


延覺寺さま、良い仏縁を有難うございました。


南無阿弥陀仏

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