ともにの道
- 超法寺の住職

- 16 分前
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浄土真宗では、「ともに」、「共に」という言葉が多く使われます。
本宗門は、その教えによって、本願名号(ほんがんみょうごう)を聞信し、念仏申す人々の同朋教団であり、あらゆる人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、もって自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献するものである。
このように示されています。『宗制』
仏教とは人々と「ともに」生きる宗教であり、ともに仏とならせていただく道であります。
自力では救われません。
他力のみ、つまり阿弥陀如来の本願にまかせていくのです。
子供が親に任せていくように、疑わずに身心をそのまままかせていくのです。
難しい言葉ですが。往相回向、(おうそうえこう)
阿弥陀如来の大慈悲心のおはたらきにおまかせして浄土へ生まれていく。
お浄土へ生まれ仏にならせていただくと、この世に戻って、あらゆる人々を阿弥陀如来のお救いの教えに誘っていく仕事をさせていただくのです。これを還相回向(げんそうえこう)と言います。
お念仏を申すのは、その阿弥陀如来のお救いに身を任せた姿であります。
この世を南無阿弥陀仏のお心によって、仏となり救いを実践する。
利他(りた)を完成する。
これが大乗仏教の特徴です。
欲望の外に出られない凡夫たる私たち人間は、阿弥陀如来の他力本願(たりきほんがん)にまかせる他には救いに遇えることはないのです。
阿弥陀如来は、あらゆる人々を南無阿弥陀仏の声のはたらきによって、一人残らずに間違いなくお摂めとっていくのです。
信じさせて、称えさせて、救っていくのです。
私の努力や修行でそうなるのではありません。
阿弥陀如来の親心によってのみそうならせていただくのです。
頭でいくら考えてもおおよそわからないのです。
どこまでも不思議、不可思議の世界であります。
ですから、先ずはお念仏を聞いていくことを大切にしましょう。
阿弥陀如来は、わからないことを承知でお救いを完成されましたから、まかせたままで良いのです。
声は多くの方に知らずに届けられます。
聞かせていただきましょう。南無阿弥陀仏


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