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執筆者の写真超法寺の住職

一本の鉛筆

更新日:8月11日

皆さま、こんばんは。

広島に原爆が世界で初めて投下された悲劇の日です。毎年思っていますがネット社会の中で「文字」によって人を幸せにしたり不幸にしてしまったり、はたまた地獄のような世界にしてしまったりする昨今です。私も時に激しい投稿で皆さまにご迷惑をおかけしていることでしょう。


美空ひばりさんの歌われた『一本の鉛筆』は、そんな私たちの浅ましい日常に一石を投じておられる気がします。


 一本の鉛筆があれば、戦争はいやだと私は書く


 一本の鉛筆があれば、八月六日の朝と書く


 一本の鉛筆があれば、人間のいのちと私は書く


たくさんの歌があります。人を喜ばせ、人を幸せにする歌が、しかしこの『一本の鉛筆』の歌詞はそこへ何かを問いかけ、投げかける何かを感じずにはいられません。

たった一人の親を見送り、年月が経とうとも変わらず悲しみにくれている私です。あの日、訳もわからず「ピカ、ドン!」で全てを失った人々。広島市の川という川には水を求めて丸こげになってしまった方が流れ、折り重なり、まさにこの世の地獄を味わった人々がいたのです。

私は親の郷里が広島ですので幾度となく訪れました。実際には目の当たりにはしていないあの光景が目に映るようでした。今でも行くと自然にこの口が南無阿弥陀仏、ナンマンダブツと声となり出てまいります。阿弥陀さまはどのような思いで見ておられたのでしょうか。きっと大慈悲心の摂取不捨のお心で抱き取ってくださったことでしょう。

そんなことを思いながら、美空ひばりさんの『一本の鉛筆』を聴きながらブログを書いています。

昨日は母の命日。私の大切な大切な人の往生した日です。その母は私に南無阿弥陀仏をお称えするように、阿弥陀さまを支えに生きていくことを教えて帰りました。

あの日、あの時、一瞬でその大切な人を失ってしまい、自らも地獄のような苦しみを味わわれた方がいたのです。

それなのに未だにこの世界中では争いが繰り返されています。命の奪い合いの中に本当に幸せはあるのでしょうか。領土の奪い合いは人の尊い命をどこへ導くのでしょうか。私は考えずにはいられません。


悲しくて寂しくて、だからこそ母は南無阿弥陀仏こそ本当なのよと教えてくれました。

ありがとうお母さん。

命って有難いよね。

お母さんがくれた命を私は全うするからね。

お母さん!お母さん!伸子お母さん!

私はあなたの子どもで良かったよ。

また遇おうね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏



 

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