皆さま、おはようございます。今日も生きることを許されました。ありがとうございます。何をどうすればいいかはわからないけど、皆さまのお心にまっすぐ生きていきます。それが私のゆくべき道ですから。
ナンマンダブツ。
今朝も、暁烏敏さんの言葉を味わっています。
仏さんから見ればみんな狂うておるのだ。昨日も金勘定、今日も金勘定やっておる。少しも目の開くことがない。心の進展がない。何をしているやらわからん。そして命を終わっていく。何しに娑婆へ来たのかわからぬ。これでは娑婆に出た甲斐がない。でたらめでない。暗がりでない。たしかな道を行くのです。
「仏説無量寿経講話・下」(1931昭和六年)
人前で仏法のことがはっきりいわぬなら、まだ腹にないのである。わかったように思うておっても、わかったのでない。ほんとうに胸にわかってくると、それがすらすらと言われるようになる。そうして、言うことに間違いがない。言葉だけで覚えておると、覚え損ないをやる。腹に封じておるのと、覚えておるのとは違う。腹にあれば、すっすっと生きた話が出るのである。
「仏説無量寿経講話・下」(1930昭和5年)
何にもない。何にもわからない。どうして変わらず生きているのか。どこへ向かっているのか。積み重ねてきたもの、何が正しくて何が間違っているのだろう。
そんなこと何回も考えてみても答えなどあろうはずもない。
なぜならば、そもそも何も知らずに生まれてきたんだし。
それを身近なあなたが教えてくれた。反発して生きてきた私に、あの手この手で.,
それでもそれでもと繰り返し繰り返して教えてくれたのでした。
困るとすぐに自分は専門など学んでこなかったと身を守ろうとする。
それでも、そんなの学んでわかるもんじゃないぞ。もっとお前のすぐそばにそうの答えはあるんだからそれに気づけ。それをそのままお前自身で語ればそれでいいんだ。
言葉をこしらえなくていいんだぞ。
もう確かなものはちゃんとお前に届けてあるんだから。
えっ、何をどう届けてくれたのよ。おいおい、知らんのか。
ナンマンダブツ、ナンマンダブツ・・・。これだぞ。これだけだぞ。
これだけは忘れてくれるなよ。お願いだから。
ありがとうございます。今日もナンマンダブツを称えながら生きていきます。
おかげさまであります。
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