選択本願は浄土真宗
- 超法寺の住職

- 7月18日
- 読了時間: 4分
皆さま、こんにちは。
いやはや暑いですね。今日はさすがにセミも鳴きません。暑すぎるのでしょうかね。
皆さまは、こまめに水分補給して熱中症予防に努めてくださいませ。
さて、いよいよ参議院選挙まであと2日。
皆さまは日本の未来を託す政党を決めましたか?まさかまた投票放棄?じゃあ、黙って受け入れてくださいね。放棄しておいて政治に文句を言うのは⚪︎の骨頂ですよ。
投票権を持つ大人として子どもたちや未来を担う人々に一体何を示せるのでしょうか。
私の自慢は今まで投票権を放棄したことはありません。たった1票ではありますが、きちんと行使して自身の意思表示をしてきました。
だから結果を素直に受け入れています。
大切なことです。
誰かのせいにして誤魔化してはいません。
目先の選挙すらまともに重要性を認識できない私が私の避けることのできない「生死」の問題を真剣に考えることなどできないのではないでしょうか。
昨日、ライオンズのお立ち台に立った長谷川選手が10ヶ月で事故で愛犬が亡くなったと泣いていました。諸行無常の理です。
私も18年前に愛犬を目の前で事故により亡くしました。この世の地獄のような沙汰でした。
私の子は1歳11ヶ月でした。
もうすぐ2歳だったのに。
どんなに思ってもこの世が無常である以上、避けることはできません。
そして「虹の橋を渡る」ことはありませんし、「天国」にも行きませんよ。
仏教の教えを真摯に聞いていけば自ずとわかります。聞かねばわかりませんよ。
浄土教という宗教は、人間やこの世に生きるものにとって、避けることのできない人生苦、生老病死、つまるところ「生死」の問題を【往生浄土】ということで解決していく宗教です。
南無阿弥陀仏のお念仏を我が身にいただく者には「死」はありません。
「往生」生まれて往くのです。
【浄土に生まれて往く】と、人生を生きていく宗教です。
あなたは死んでいく人生を歩まれますか?
それとも生まれて往く人生を歩まれますか?
「死にたきゃ死ねよ、この身体、我は死んでも、わしゃ死なぬ、生きてまいる南無阿弥陀仏」 [浅原才市]
何もわからず右往左往しながら生きる私たちを案じて先手のおはたらきを仕上げて声となり届いていてくださるのが阿弥陀如来さまであります。
↓
「お願いだから、本当に疑いなく、私の国(浄土)へ生まれることができると思ってくれ。そしてわすが十遍であっても、私の名を称えながら、お浄土(私の国への人生を生きていきなさい。そのようなものを、お浄土へ生まれさせることができなければ、私は正しくめざめたもの(仏)にはなりません。」
↓
阿弥陀如来さまのお願いを断ることを疑いと言い、阿弥陀如来さまの願いに【従う】ことを信心と言います。
日々罪を作り、それを正しいと思って生きている私たちは、真実に背を向け、自己への執着と、欲望のために地獄へ堕ちる人生を歩んでいます。それなのに自分は間違いないなどと自惚れているのです。
そんな愚かな生き方をしている私を阿弥陀如来さまは追いかけて、追いかけて、追いかけて、捕まえて、愚痴や他者の悪口ばかりの私の口に我が名[南無阿弥陀仏]を称えさせ、そのまま真実のさとりの浄土に生まれさせることができなければ私(阿弥陀如来)は決して仏にはなりません。
↓
この願いが仕上がって、南無阿弥陀仏と称えられる仏になられたのです。
[私が頑張ったから称えられたのではない]
仏法聴聞するということは、その名号を聞く!どうして阿弥陀如来さまの願いが建てられたか。それは地獄へ堕ちる私がいるからです。
罪深いのに自惚れて生きているにも関わらず、「死ねば仏」などと仏と真逆の生き方をしている。
その願いは、どのように起こされたか。
[罪は深くとも、そのまま我にまかせよ、必ず救う]
私はどうなるのかを聞く。
[南無阿弥陀仏を申す身にならせていただき阿弥陀如来さまの他力のおはたらきでお浄土へ生まれて往く]
この夏のお盆を縁として今こそ、ご先祖の願いを聞き入れて仏法聴聞するあなたになってください。それを【ご供養】というのだから。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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