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『御伝鈔』とは

⚪︎報恩講

浄土真宗の門徒になじみの深い「報恩講」は、親鸞聖人のひ孫で本願寺第三世の覚如上人です。

親鸞聖人の三十三回忌を営むにあたり、お徳を讃えるために法要の儀式や作法を一巻の書き物にあらわされたのが『報恩講式』です。


もちろん親鸞聖人を偲ぶお念仏の集まりは、ご往生されてからすぐに続けられていました。

それを「報恩講」という形にされたのです。

その翌年にあらわされたのが『御伝鈔』でした。


親鸞聖人のご恩と、お徳に対する感動と感謝の思いを込めたものでした。『御伝鈔』は「絵」と「詞」(ことば)の形でした。

文章と絵が交互する横に長い巻物になっていて、上下二巻にまとめらています。しかしこれでは見るのに不便です。先ず文字を読み、次に絵があらわれる形式ですから、一度に多くの方が見るわけにはいかない。そのため「絵」と「詞」に分けられたのです。


⚪︎『御伝鈔』には何が書かれているか

親鸞聖人がお生まれになってから九十歳でご往生になり、廟堂(お墓)が建てられ、この廟堂へ全国の門徒がお参りに集まってくるまでが述べられています。

上巻八段、下段七段で、各段の概要については次の章にゆずります。


ご誕生からご往生へ、そして廟堂の建立へと、年代的に順序を追った形で進められています。

ところが内容的な味わいを、きっちり上下二巻としなければならなかった理由がわかります。


きわめて大雑把な分け方ですが、上巻は親鸞聖人ご自身がお念仏の信心の生活に入られるまでです。こうした信心の生活に入られたのは、ひとえに煩悩にさいなまれてばかりいる私たち(凡夫)のために、救わずにはおれないという阿弥陀如来のご本願(お誓い)を弘めねばならないためで、そういう親鸞聖人のご生涯は阿弥陀如来のお生まれ変わりであったに違いないという覚如上人の確信が強く打ち出されます。


下巻は、その具体的なあわられとして、もっぱら仏法を弘めることに命がけで尽くされた親鸞聖人のご生涯と、親鸞聖人がお浄土へお帰りになられてからも、その尊い仏法は、後々の世まで輝き続けねばならないという、あふれんばかりの思いが『御伝鈔』には込められています。


廟堂の建立と、全国の門徒がお参りに来る情景まで書かねばならなかったのは、お念仏が弘まって欲しいという思いのあらわれにほかありません。ちなみに、この廟堂こそ、今の東西本願寺のおこりなのです。


『御伝鈔』は、古い文章言葉で書き綴られていますから。すぐに理解するというのは困難です。しかしながら浄土真宗の門徒として、こうしたお気持ちを噛み締め味わっていくと、私たちの今日のお念仏の喜びのために、親鸞聖人のご生涯とご苦労があったと身近に喜ばれるはずであります。『御伝鈔』で味わう宗祖のお念仏より


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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