皆さま、こんにちは。
台風が去ると秋が近づいてきます。
たくさんの災害をもたらして被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
今年のお盆も終わります。
今年はまた昨年より多くの方々が超法寺をネットで見つけてくださりご依頼いただきました。
劇的には増えませんが確実に一年一年仏縁が増えてきました。中にはドタキャンもあったりしますがそれはそれで致し方ありませんよね。
お寺とはそういうことも含めて皆さまのお手伝いをさせていただくものでありますから。
リピートの仏縁を結んでくださる方もありまします。僧侶派遣業者を通しても大変嬉しいです。
しばらく千葉県にもご依頼をいただいていましたが最近はなくなってきました。
これも致し方ありません。
超法寺は関東一円へ参らせていただきます。
来るもの拒まず去るもの追わずであります。
すべては阿弥陀さまのおはたらきであります。
そのおはたらきがあればこそ、私が参らせていただけるのです。
縁起とは、人間の心のはたらきを含めて、すべての事物は、因縁というつながりの中で生まれ起こるということです。
孤立して存在し得るものは一つとしてなく、全ては他とのつながりの中で生起しているということなのです。
そしてそのつながりは、空間的にも時間的にも、無限の広がりを持ちます。
いつの世も老病死の現実の苦悩は避けられないですが、昔に比べてみますと毎日、快適な生活をしていますよね。
終戦後、昭和20年30年代を思い出してみると、毎日が夢のような生活です。私が生まれた40年代でもやはりそうです。
その快適な生活が実は環境を破壊して、毎年のように起こる自然災害とつながっていることを私たちは忘れてはなりません。
快適な暮らしに慣れて、知らぬ間に環境破壊に加担する日々
令和元年十二月 (日経)八千代市 服部勝
今日は色んなことがありました。
ご葬儀の依頼がありましたので私ご指名のご法事をキャンセルして葬儀に備えましたら、こちらが急遽、ご宗家と菩提寺さまの都合でキャンセルになるという悲劇がありました。
何ともなりません。私の行動一つでまたご迷惑をおかけしてしまいました。
葬儀ですから仕方ありませんよね、と笑顔でお許しいただいたというのにね。
しかし縁とは常に移り変わるものであります。
かなり落ち込んでるよ。
しかし縁とはそういうものと知らされました。
しかしながら新たに超法寺にお問い合わせをくだされたことは嬉しいことでありました。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏