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私らしくって何?

皆さま、おはようございます。

肌寒い朝です。昨日は暖かかったので堪えますね。

さて、私は現在布教所活動に邁進する中でさまざまな葛藤があります。

それは発信する大切さがありながら、頭を悩ませ苦しみ、苦虫を噛み潰したような思いの中で見出したものを何故、苦労もなくネタを提供しなくてはならないのだろうか。

それぞれが切磋琢磨して自分の布教所らしいやり方を日々実践しているというのに•••。

失敗に失敗を重ね、収入にならない努力をしていく中で少しずつ培ったものは超法寺の宝である。

それをわざわざ他の人たちと共有していかねばならないのだろうか。

今のネット社会全盛の中、オリジナルなものを気前よく発信していくことは諸刃の剣だ。


確かに私が今積極的にやっていることは斬新だと言われてはいますが、基礎はもう30年前からやっていたことであり、その時には馬鹿にされていたことなのです。

マニュアル通りにやるのは安心感があるのかも知れませんが、やはり私はそれぞれの人間がそれぞれの人柄で、その土地に住む方のニーズにどのようなアプローチをしていくかはマニュアルでははかれないものがあると思う。


それぞれの感性が大きな意味があります。


そこは私は曲げたくない。

まだまだたくさんの発想はあります。

この数年もの間、否定されて、笑われてきたものがありますが、一般社会のニーズには適合していることが非常に多くあることに気づき、資格や研鑽を深めてきました。

コロナ禍の中、全く仕事がなくなってしまった危機的状況下で、何をすべきか、何を自分は未来に向かってチャレンジすべきかを自問自答してきたのです。


お寺だからお参りだけすればいい•••そんな時代はきっと過去の話だと思う。

中興の祖、蓮如さまも誰もやらなかったものを信念を持ってやり抜かれた。

その時は否定され、バッシングも受けていたと思いますがやり抜くパワーが半端なくあったのでしょう。


私は打たれ弱いので追い詰められると不安になり、守りに入ってしまう弱さがあります。


しかしながら、少しずつではありますが超法寺のご縁の方々から共感をいただき応援してくださる温かいお言葉が、その弱い私を奮い立たせてくださいます。


今まで一人であれこれ思い悩んできた私ですが、一人ではない大きな力が私を支えてくれるようになってきたことを素直に喜びたいですね。

最近、皆さんと思いのキャッチボールができるようになりました。

ずっとドッチボールばかりだったのに笑


不器用な私だけど、これからも皆さまの思いに寄り添っていきたいです。

私らしく泥臭いやり方で•••。

父が2.30年先を見据えるような大胆な発想力を少しだけ受け継いだと勝手に思っているから。

父がやってきた発想力は私の力になります。

それが超法寺の宝なのだから。

マネが出来ないような、突拍子のないものであってもご縁の方々のご支持をいただきながら。


今日もどのような方とお会いできるのだろうか。ワクワクしますね。

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