私のための息が、そのまま仏のため息
- 超法寺の住職

- 1 日前
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うきことに ををたひとなら わかるぞな
うきことに あわざるひとなら わからんぞな
ためいきほど つらいものはない
こころのやりばのない ためいき みだにとられて
なむあみだぶつ なむあみだぶつと もをすばかりよ 【浅原才市】
【憂い】
信仰は必ずしも苦しい生活をせねばわからぬというものではない。
世の中でいわゆる幸せに暮らしている人も当然、信仰の人であり得る。
とは申せ、生活の上のいろいろな苦しみ悩みは信仰への入り口である
かもしれない。そして信仰に踏み込んで、益々その憂きことは意味を
深めてくる。これはどの宗教でも同じであろう。
それかといって我々は苦しみを欲しくはない。
また、それほどでもないことを、悩みだと思うのも、おかしい。
避けることの出来ない憂いは甘受せねばならない。
やり場おないためいき。
孤独であるからやり場がない。
八方ふさがりであるからやり場がない。ため息が出る。
【悦び】
衆生のため息は、我が苦悩。
ため息を肩代わりしてもらって楽になるものでもない。
ため息の中に、私と仏(如来)と立ってお念仏を申す。
辛い。仏は常にこれを知り給う。
深川倫雄和上法話より
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏




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