私にも「仏性」は与えられている(仏になる可能性)
- 超法寺の住職
- 3 日前
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更新日:2 日前
皆さま、おはようございます。
台風の影響でしょうか雨模様ですね。
しかし激暑からは解放されて有り難いです。
「降ってもよし、晴れてもよし」
これが大切だと思います。
なるべく不足を言わない生活こそ念仏者です。
だって阿弥陀さまと、ご先祖とご一緒の人生ですから。
トンチで有名な一休さんの話。
一休さん「一切衆生、悉有(しつう)仏性。一切の衆生は皆、仏性を持っている。生きとし生けるものには、全てに生まれながらにして仏になる種がある。あなたにも仏性がある。」
山伏「そんなものはない。お前に仏性があるのであれば見せてみよ。」
一休さん「この身にあり」
山伏は短刀を抜いて、「ならば、その身を切ってみようか」
一休さん「春ごとに、咲くや吉野の山桜、木を割りて見よ、花のありかを」
桜の木を切って見ても、桜の花はありません。しかし、間違いなく桜の木には、桜の花を咲かせる性がある。
一切衆生は、皆ことごとく平等に阿弥陀さまから仏になる種、仏性が与えられている。
【南無阿弥陀仏】という仏性が与えられています。これは私たち人間だけではありません。
生きとし生けるもの全てに与えられています。
それを知らないもの、知っていても「そんなことがあるか」とはねつける人は種を宿したまま迷い続けていくのです。[実はこれが大変多いのですね。だから親鸞聖人は化土往生少なからずとお嘆きなのです]
逆にそのおいわれを聞いて「そうでありましたか、なんまんだぶ」と、お念仏を申す他力信心の人でなければ、お浄土に生まれ、仏になるという救われた人生を歩むことはできません。
さすがは蓮如上人と大親友でありました一休さんは、よくおわかりでありますね。
また人間以外には仏性などないなどとおっしゃるお坊さんは、もう一度お釈迦さまの説法を学ばれるがよろし。
そんな浅い教えではござらん。
阿弥陀如来のお慈悲は私たち人間の思いを超越した不可思議光のおはたらきであります。
お盆には是非、ご先祖の参られた世界をお尋ねしてみてほしい。
それはお飾りからもわかるのです。
浄土真宗はナスやきゅうりに足を付けて供えたりはしません。これは地獄に行った方への供え物です。
浄土真宗は、阿弥陀如来のご本願を信じて、南無阿弥陀仏をお称えしてお浄土へ往生させていただくのですよ。
これはお墓参りだけする人にはわかりません。
お寺へ参って仏法聴聞してください。
きっとご先祖が有難いと思えるはずですよ。
超法寺ではお盆の法要を七月二十六日(土曜)、八月二十三日(土曜)の両月共、午後二時からお勤めいたします。
八月にはご講師をお願いしています。
どなたでもお参りいただけます。
お待ちしております。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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