top of page

目覚めの宗教

皆さま、おはようございます。

昨夜はハラハラドキドキの韓国戦、やはり侮れませんでしたね。それでも我らがライオンズの若きエース隅田の好投と万波のバックスクリーンへのホームランで勝つことができました。

野球大好きな私はたまらない試合でありました。大谷翔平のMVP[史上初の二度目の満票]インタビューも皆さま、傍にいたワンちゃんが気になっていましたね。

私には常にそばに居て支えてくれていますよ。

豆柴です。


残念ながら人間の子どもには縁がありませんでしたが、私にちょうど良いサポートがあるようです。ははは、何言ってるんだろうね。

今日も清々しい朝であります。


さて前回に引き続き【極重悪人】の私です。

『正信偈』には【極重悪人唯称仏】と親鸞聖人はおっしゃっています。

南無阿弥陀仏のお念仏は、まさにいつでも煩悩に振り回されてしか生きて行けず、真実に背を向けて「自我」に埋没している私のために仕上げられている阿弥陀さまの誓い、阿弥陀さまの願いであります。先手の救いです。

そのはたらきが他ならぬ私のためであったと気づいていくことが大切です。


【地獄は私が作り、私が落ちていく世界】


それなのに、死ねば仏などと自惚れて生きている人間の有り様を神仏はきっと嘆かれておられることでしょう。

今報道されているガザ地区の惨状ではガザ地区の境界に近い場所で開催されていた音楽フェスでハマスにより女性が襲われて⚪︎⚪︎されてしまった記事と写真が公開されています。

いつの時代も繰り返されてしまう悲惨な光景に絶句しました。

人々はさまざまなことをコメントされていますが、人間の都合の良いことにはならないのです。「自我」に生きるのはイスラムも同じなのだから。そして他ならぬ私もです。


今はおかげさまで日本ではこのようなことにはなっていませんが、先の朝鮮戦争、中東戦争、ベトナム戦争•••••戦争の名のもとに繰り返されてきたのです。私が知っていないだけ。

また今日本も北はロシア、西は北朝鮮、南は中国と、虎視眈々とチャンスを伺っています。

いつ何時、あのような光景が身近になるかも知れないことを頭の隅に置いておかねばならないのでしょう。

全国一位と大きく広告されている某パチンコ、パチスロ店のオーナーは在日と言われています。約八割のオーナーさんがそうであるとも言われていますね。日本人が吐き出したギャンブルへの「欲」のはけ口が回り回って北朝鮮のミサイル実験となっているとも言われる。

それでも皆さまは、排他的経済水域に落下しているのだからいいじゃないか、そう油断するのでしょうか。

そう間違いなく彼らは思い通りの場所にミサイルを落下させる技術をモノにしているのです。

つまり、外交問題や政治の乱れが生ずれば私たちが楽観していることが悲劇になってしまうことは目に見えるようです。

何が起きても不思議ではない世界、これが諸行無常の人間世界であります。


何が起きても不思議ではないのに、それを不思議とも思えずに当たり前じゃないかと生きているのが真実に目を背けている私の姿ではないでしょうか。

仏教が勧める世界は、真実に背を向けて「自我」に埋没し生きようとする地獄行きの電車?に乗り続ける私に、【選択本願は浄土真宗なり】とお示しくださいます。


選択本願(せんじゃくほんがん)とは、阿弥陀如来が法蔵菩薩となって、南無阿弥陀仏とはたらく仏になるために起こされた誓願です。

「真実に背を向け、自己への執われと、自分の欲のために地獄へ堕ちていく人生を歩む私を、追いかけ追いかけつかまえて、口に我が名を称えさせ、そのまま真実のさとりの浄土に生まれさせることができなければ、私は仏にはなりません」という不可思議な願いであります。


この願いが仕上がって、南無阿弥陀仏と称えられる仏になられたのです。

その名号を聞く(聞こえたままの南無阿弥陀仏)。

そのナンマンダブツの声に、なぜ阿弥陀如来の願いが建てられたのかを知らされるのです。

それは自我に埋没し生きて地獄に堕ちていく私がいるからであります。

阿弥陀如来は、私を救いたいと願う「親」のような仏さまであります。

気づこうともしない私(子ども)を、あの手この手をかけて気づかせようと苦心されます。


その願いはどのように起こされたのでしょうか。

↓↓↓

地獄へ堕ちる罪はいかほど深くとも、そのまま我(阿弥陀如来)にまかせよ、必ず救う。

↓↓↓

私はどうなるか。

↓↓↓

南無阿弥陀仏とお念仏を称える私となり、浄土へ生まれていく。


もちろんこれはすべて、阿弥陀如来のはたらきであります。私の努力ではありません。

だから【他力本願】なのです。


私がこうした、ああしたとかいう宗教ではありません。

また、私がこうなりたい、ああなりたいという宗教でもありません。


ただ、ただ、阿弥陀如来さまにつかまえられてある私を知らされて、そこに有難うございますと安心して南無阿弥陀仏、ナンマンダブツと感謝のお念仏を称えながら生きていく宗教が浄土真宗であります。


これを私たちに九十年の人生をかけて私たちにお伝えくだされたのが親鸞聖人でありました。

そしてその親鸞聖人のみ教えを聞いて喜んで生きてくだされたのが令和の今にまで私に届けてくださった、ご先祖さまなのです。

是非、忘れないでくださいね。


南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・。



※どうして仏教には「戒め」があるかというと、そうしないとする人があるからです。

現に法律でしてはいけないと戒めてあるから私はしないのですよね。

でも悲しいかな、それでも一定数戒めを守らない、守れない人がいます。

だから、阿弥陀如来のご本願が起こっているのだと私は受け止めています。


どうか、凶悪な戦争、事件、事故を他人事にしないでください。「してはダメだよ」と私に戒めてくださっているのですから。


もちろんキリスト教にもイスラム教にも「戒め」はあります。だから私がみたものがすべてのような誤った考え方は止めましょう。

無宗教の人には分からないのだから。

人知に生きている人には人智を超えた世界は理解できません。だから悲劇を呼ぶのです。

そんなあなたにも阿弥陀如来の願いは届けられてありますよ。南無阿弥陀仏

閲覧数:7回

最新記事

すべて表示
bottom of page