皆さま、こんにちは。
穏やかなお天気に恵まれました。
ただ風は冷たいのですが、被災地の方々を思えば喜ばねば申し訳ありません。
被災地は既に地震の回数が500回を超えているそうで皆さまの不安は私が思う以上ではないかと思います。改めて衷心よりお見舞い申しあげます。
さて先程クレジット会社からメールが来ました。私の購入履歴を見て明らかに不自然なものがあるとメールで確認を促してくださるのです。実はここ数年前からクレジットカードの不正使用が頻繁し、何度もカード番号を変更が余儀なくされています。酷い時は半年に一度、明らかに同じ人によって不正使用されている事案がありました。(購入品目が同じ)
今回の不正使用はメインで使っている物なので使えないと大変困るのです。カード会社にも、番号を大幅に変更していただいたり対応をしていただいていたのですが、どうにも効果がありません。明らかに狙われていると感じています。クレジットカード会社の担当さんも珍しいと言われたので、これは私を狙って番号を探し出したのではないでしょうか。
これは名前も知れてしまっているのかも知れません。改名しようかしら。
そんなことを考えるほど頻繁しているのでしょうか。頭を悩ませています。
しかし、騙される人あれば騙す人もいるのが私の生きている娑婆世界であります。
欲やいかりや 愚痴が出る 出るたびごとに
み仏の 慈悲の心にたちかえり 力の限り生き
ていく (藤 秀翠)
人間の苦しみや悩みの原因は、我と我が物に対する執着にあります。
その執着の心より貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり)、愚痴(おろかさ)の三毒の煩悩が起こり、その三毒が燃えて栄えて、ますます煩悩を深めていきます。
全ての執着から離れ、無我無欲になれば、煩悩も滅し、苦しみも悩みも無くなります。
しかしながら私は煩悩具足の凡夫、死ぬまで煩悩から離れられません。つまり私がどんなに頑張って見ても悟りとは真反対の生き方をしているのですから常に苦悩の中にいて自己中心の我執、我欲の世界から離れることができません。
仏かねてより知らしめて 煩悩具足の凡夫と
仰せられたることなれば 他力の悲願(南無
阿弥陀仏)は、かくのごときの我らが為なり
けりと知られて いよいよ頼もしくおぼゆる
なり (歎異抄)
煩悩具足の凡夫たる私が「老い」、「病」、「死」の人生を歩むのですから、苦悩は避けられません。それだけではなく、苦悩の人生を生きていくということは思いがけない不幸や災難があるのです。この度の石川県能登大震災もそうではないでしょうか。
では、どのようにして生きていけばいいのでしょうか。
煩悩に振り回されることなく、み仏の大慈悲心(南無阿弥陀仏)に立ち返り「こんな私の為にこそ」と、我が身を見失うことなく、ナンマンダブツとお念仏を申しながら生きていくのですね。何故ならば、煩悩具足の凡夫たる私のために仕上げられたのが他力の念仏だからです。
何も心配せず生きていけばいいのです。
浄土真宗で一番不義理なのは、そのナンマンダブツを称えることなく生きていくことであります。称えたつもりの人、意外に多いですからね。【受け念仏】を大切にしたいものです。
南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ